今宵の出席者

チャーリー チャーリー:50代。セカオワとかゲスの極み乙女。とかにプログレを感じてしまうオッサンです。 「俺的名盤」とのお題に5枚選んだんだけど、普通に名盤でした。年月が名盤を作るのでしょうね。

東風平 東風平:40代。「偏愛」と「変態」を聞き間違い、前日にDWARVESやA.C.のレコードを持って来た慌てん坊将軍。主食はメタルだが隠れてポップスも聴く雑食派。

オーヌキ:今宵の司会・進行役。30代。今年もメタル道を一歩ずつ進む。弊社アナログ盤企画を通じてレコードに触れる。個人的偏愛CDはLAMB OF GODの『Sacrament』。

「緩やかで綺麗な月夜の幻想」と「中坊でもわかる詞作の妙」

――今回のお題は「個人的偏愛レコード」。というわけでお2人には、“世間的な評価はともかく、自分にとっては間違いなく名盤と呼べるアルバム”を5枚ずつお持ちいただきました。それではさっそくですが、チャーリーさんからご披露いただけますか?

チャーリー チャーリー:う~ん、どれから行こうかな・・・。よし、それじゃあ1枚目は、CAMELの『Moonmadness』で。



CAMELはプログレの中ではどちらかと言うと後発のバンドでね、デビューは1973年。この『Moonmadness』は彼らの4枚目のアルバムなんだけど、1つ前の『The Snow Goose』というのがとてもコンセプチュアルな作品で、ポール・ギャリコ(※1)の小説を音楽で表現したような大作だった。

あれがかなりきっちり作り込まれた、まさにプログレ界を代表するような作品だったせいで、俺も“次はどうなるんだろう?”と心配してたんだけど、そんな時に出てきたこのアルバムは、わりとリラックスした感じの、とても聴きやすい作風になっていた。そこが気に入ったんだ。緩やかでキレイなところがね。

もちろん激しいところもあるけど・・・といっても、CAMELの場合はそれほどアグレッシヴになることはないけど、途中のリズム・チェンジやなんかも実にスムーズで、ひたすら美しい世界を堪能できる。大作の後にこれが出てきた、というのがよかったね。

※1:アメリカの小説家。1941年に刊行された短編『スノーグース』、後に映画化された『ポセイドン・アドベンチャー』などの作品で知られる

東風平 東風平:なるほど。でも、やっぱり『The Snow Goose』みたいな大作を期待していたファンも少なくなかったんじゃないですか? そういう人達にとっては、ある意味、肩透かしだったというか・・・

チャーリー チャーリー:うん、そう取った人達もいたと思うよ。でも、俺としては、『The Snow Goose』はちょっと作り込みすぎな感じもしたんだよね。もちろん素晴らしい作品ではあるけど、なんとなく余裕がないというかさ。曲もどんどん変わっていっちゃうし。コンセプト・アルバムという性格上、そうなってしまうのもわかるんだけど、ただ、こっちの方が本来のCAMELという気はする。

それから、メンバー4人がそれぞれ曲を持ち寄っているというのもポイントだね。『The Snow Goose』ではピーター・バーデンス(キーボード)とアンディ・ラティマー(ギター、ヴォーカル)の2人だけで曲を作ってたけど、『Moonmadness』には他のメンバーが作った曲も入ってる。

東風平 東風平:なんとなく“アンドリュー・ラティマーのワンマン・バンド”といったイメージもありましたが、実際はとても民主主義的なバンドだったんですね。

チャーリー チャーリー:もともとこの4人でスタートしたわけだし、彼らもこのラインナップでずっとやっていきたかったんじゃないかと思うよ。だけどこの後、ダグ・ファーガソン(ベース)が脱け、しばらくしてピーター・バーデンスも脱けてしまった。

当時のファンの認識としてはさ、プログレという音楽において、鍵盤という楽器はかなり重要な位置を占めるものだった。だからピーターが脱けた時は「おいおい、CAMELどうなっちゃうんだよ?」とずいぶん心配したもんだよ。CAMELのソフトでメロウな部分はピーターが担ってるとみんな思っていたからね。ところが、実はそうじゃなかった。実際はアンディがCAMELだったんだ。

東風平 東風平:アンディがいわゆる“メロディ・メイカー”だった、と。

チャーリー チャーリー:そう。だから、その後もラインナップはいろいろと変わっていっちゃうんだけど、CAMELのサウンド自体は基本的にはそれほど変わることがなかった。とはいえ、アンディとしてはワンマン・バンドにするつもりはなかったと思うよ。結果的にそうなってしまったというだけでさ。

――お話の間ずっと『Moonmadness』を掛けていただいていますが、メロディが本当にキレイですね。いかにもチャーリーさんらしいセレクションだと思いました。それでは対する東風平さん、続いてお願いします。

東風平 東風平:はいはい。僕の1枚目は、エクストリームでブルータルなものすごいメタル・・・ではなく、こちらです。

チャーリー チャーリー:おお~っ、CUTTING CREW。懐かしい~。(笑)

東風平 東風平:やっぱりご存知でしたか。(笑)今回はあえて“メタルを持ってこない”という縛りで選んでみました。

――えっ? そんな不利な縛り、こちらからはお願いしてませんよ? 大丈夫ですか?

東風平 東風平:大丈夫! ・・・だと思う。改めまして僕の1枚目、CUTTING CREWのデビュー・アルバム『Broadcast』です。



――お~っ、このジャケットに写っているメンバーの髪型!(笑)これ“マレット”とかいうんでしたっけ? 古いなあ~。

東風平 東風平:お、よく知ってるね。改めてよく見るとやっぱりダサいなあ。(笑)でも、中身の音楽はすごくいいんだよ。

ヒット・シングルのタイトルをやや強引にアルバムの邦題にしてしまうという、当時の国内盤によくあるパターンで命名されているとおり、全米1位に輝いた「(I Just) Died In Your Arms(邦題:愛に抱かれた夜)」をはじめ、続いてカットされた「I've Been In Love Before」「One For The Mocking Bird」「Any Colour」などもチャートで健闘しました。

・・・が、残念ながら後が続かなかった。なので世間的にはどうしても一発屋というイメージが強いと思いますが、少なくともこのアルバムの出来は素晴らしかった。カットされなかった収録曲も、アレンジが洗練されていてなかなかいいんですよ。ポップスではあるんだけど、ロックっぽさもちゃんとあるし。そのへんはU2とかTHE POLICEとかの影響じゃないかな。髪型も含めて。(笑)

ちなみに僕のお気に入りは「One For The Mocking Bird」なんですが、好きになったきっかけは、実は歌詞の構成でした。特に最後の段落。1番と2番の歌詞の中から印象的な一節を抜き出して次々に並べたものになっているんですが、それに初めて気がついた時の感動ったらなかったです。それまでに歌われていた情景が走馬灯のようにカットインしてくるようなイメージというか・・・。

チャーリー チャーリー:あ~、それはおもしろいね。それって中学生の頃?

東風平 東風平:ええ。今思えば、中学生の英語力でもちゃんと理解できる手法だった、というのもよかったのかもしれません。

「見事な花柄のブラウス」と「太ったブルースおじさん?」

――“学校の勉強がたまたま役に立った!”みたいなことってありますよね。(笑)さてそれでは、続いて2枚目をお願いします。先攻のチャーリーさん、どうぞ。

チャーリー チャーリー:それじゃあ、2枚目はREFUGEEの唯一のスタジオ・アルバムを。



――おお、ジャケットの真ん中の人のシャツ、見事な花柄ですね。(笑) しかもこれって女性物じゃないですか? シャツというより、ブラウスって感じですよ。

東風平 東風平:そこはイジってあげるなって!(笑)昔は炊飯器だって電気ポットだってみんな花柄だったんだから。

チャーリー チャーリー:そうそう。(笑)ちなみにこれ、東中野のプログレ専門店まで電車に乗って買いに行ったんだよね。THE NICEの2人が新しく始めたバンドということで、わざわざ探してあそこまで買いに行ったんだけど、何と言っても注目すべきは、当時まったく無名だったパトリック・モラーツ(キーボード)が参加しているということ。後にYESに加入して有名になるけど、この時点でもう大活躍なんだよ。

当時はインターネットなんて無かったから、情報はラジオか音楽雑誌から得るくらいしかできなかった。だからパトリック・モラーツが何者かなんて、日本のプログレ・ファンはほとんど知らなかった。後で知ったところによると、どうやらTHE NICEがヨーロッパ・ツアーをやった時に知り合ったらしいね。彼はスイスの人だから、THE NICEがスイス公演をやった時に接点が出来て、一緒にセッションをする機会なんかもあったらしい。

そういう縁でこのアルバムが作られることになったんだけど、キーボードによるオーケストレーションがとにかく素晴らしいんだよ。

当時のプレイヤーを語る際にはほとんど必ずと言っていいほど“クラシック”と“ジャズ”がキーワードとして挙がるけど、俺がキース・エマーソン(THE NICE、EL&P他)と違うなと思うのは、彼がどちらかと言うと古いジャズ、例えばデューク・エリントンオスカー・ピーターソンなどに傾倒していたのに対して、パトリック・モラーツはもう少し後のジャズ、例えばチック・コリアとかマイルス・デイヴィスのエレクトリック時代とか、あるいはジェフ・ベックと一緒にやって有名になったヤン・ハマーとか、そういう新しいジャズの影響があるところなんだ。

東風平 東風平:・・・いやはや、深い洞察です。でも、僕にもなんとなくわかります。

チャーリー チャーリー:パトリック・モラーツの演奏は、やっぱり自由でスリリングなんだよ。ミニムーグのピッチ・ベンダーを駆使したりしてさ。そういうのはチック・コリアとかヤン・ハマーにそっくり。その3人がミニムーグ(※2)を手にしたのはほとんど同じ頃だったんじゃないかと思うけど、誰がどう影響を与えたのかを考えるとおもしろいね。

チック・コリアがプログレを聴いてたかどうかはわからないけど、ロック・ミュージシャンがジャズを聴いてたというのは多分にあることだからさ。特に新しいことをやり始めたジャズ・ミュージシャンの演奏は、わりと聴いてたんじゃないかな。

※2:1970年に開発されたムーグ(モーグ)シンセサイザーの量産機。ムーグと比べて操作が簡便になったことで、演奏の自由度も格段に上がった

東風平 東風平:ちなみに、このアルバムがリリースされたのって・・・

チャーリー チャーリー:1974年。

東風平 東風平:ってことは、RETURN TO FOREVERなんかも・・・

チャーリー チャーリー:うん、もうバリバリやってた頃だね。

東風平 東風平:この頃にはもうフュージョンの時代が始まっていたんですね。60年代にジャズ・ロックの時代もあったとはいえ。

チャーリー チャーリー:そうだね。あと、エレクトリック・ピアノを使うというのもこのバンドの特徴なんだ。ロック系の鍵盤奏者にはエレピを弾く人は少ないからさ。どうしてもハモンド・オルガンが多くなっちゃう。キース・エマーソンだって、エレピはほとんど弾いてなかったんじゃないかな。もちろん普通のピアノは弾いてたけど。

――なるほど。そんな印象は確かにありますね。でも、個人的にはやっぱり、花柄のブラウスが気になってしまうのですが・・・あ、もういいですか? すみません。それでは続いて、東風平さんの2枚目と参りましょう。

東風平 東風平:・・・はいはい。えっと、今回はあれこれ話す前に、まずレコードを聴いてみてください。それじゃあ、いきます。

(全員でしばしレコードに耳を傾ける)

東風平 東風平:さて、ここで質問です。この渋めなヴォーカルとギター、どんな感じの人がやっていると思われましたか?

――黒人のブルース系の人・・・ですかね。

チャーリー チャーリー:黒人じゃないかもしれないけど、ブルース系の・・・ちょっと太ったおじさん、かな?

東風平 東風平:(得意満面で)そう思いますよね~。(笑) それじゃあ、お見せしましょう。このヴォーカルとギターをやってるのは、ジャン! このおにいさんです!



――ええーっ!(笑) 見た目はちょっとパンクの人みたいじゃないですか!

チャーリー チャーリー:それに太ってない! しかもイケメン! 普通にかっこいいし、モテそうだよ、このおにいちゃん。(笑)

東風平 東風平:意外だったでしょ? というわけで、僕の2枚目は、二枚目なトミー・コンウェル率いるTOMMY CONWELL AND THE YOUNG RUMBLERSのメジャー・デビュー・アルバム『Rumble』です。

アメリカはフィラデルフィア出身のバンドで、インディ・レーベルからアルバムを1枚出した後、晴れて『Columbia』との契約を獲得して1988年に発表したのがこのレコードです。さきほど聴いていただいた「I'm Not Your Man」のほか、ここからは「If We Never Meet Again」もシングル・カットされ、そこそこヒットしました。

・・・が、残念ながら彼らもまた90年代を生き抜くまでには至らず、その後メインストリームから姿を消してしまいました。どうやら最近でも地元でライヴなどをやりながら緩やかに活動しているようですが、このアルバムでチャートに現われた時の彼らはハジけていて本当にかっこよかった。

当時僕は中学生だったので、ブルース・スプリングスティーンとかブライアン・アダムスとかと同じような感じで聴いていましたが、改めて聴くと、いかにもセミアコ(※3)らしい音とか、スティーヴィー・レイ・ヴォーンみたいなフレージングとか、昔のブルースマンみたいなうなり声とか、若いのにやたらブルージーでシンプルなところが渋くてぐっと来るんですよね。適度にキャッチーだし、ちゃんとロックンロールしてるし。

※3:セミアコースティック・ギターのこと。ボディの一部が空洞になっているため、軽くて柔らかみのある特徴的なサウンドを出すことができる

チャーリー チャーリー:うん、わかるわかる。

東風平 東風平:さっきYouTubeで何年か前のライヴを見たんですが、もう太っちゃってハゲちゃって、この頃のしゅっとした面影なんてないんですが、それでも音楽性にようやく見た目や年齢が追いついたって感じで、それはそれで渋いなと思いましたね。

「カンタベリー系の頂点」と「大人になってわかった渋み」

――ここまでなかなかいい対戦が続いていますね。それでは、続いて3枚目です。チャーリーさん、次のレコードをお願いします。

チャーリー チャーリー:俺は今日はプログレしか持って来てないからさ、次も当然プログレで、HATFIELD AND THE NORTHの『The Rotters' Club』。個人的には、彼らこそカンタベリー系(※4)の頂点だと思ってるんだ。もちろん他にもいろいろなバンドがいるけど、彼らの音楽にはカンタベリーらしさというものが凝縮されてると思う。



いわゆるカンタベリー系のバンドはみんな、ロックな中にもジャズっぽさとかストレンジなポップさとかを持ってる。だからジャジーではあるけどそのまんまなジャズではないし、ロックではあるけど、熱いというよりは醒めた感じがある。そのへんがカンタベリーらしさと言えるところだと思うんだ。

※4:イギリス南東部カンタベリー出身のプログレ・バンドたちが特徴としていたサウンド。60年代から70年代にかけて、THE WILD FLOWERSSOFT MACHINECARAVANなどが牽引した

東風平 東風平:いわゆるカンタベリー系と呼ばれるバンドは他にもたくさんいますが、チャーリーさんがそこまでHATFIELD AND THE NORTHを推す理由というと?

チャーリー チャーリー:彼らはカンタベリー系としては後発なんだけど、後発ゆえの、先輩たちを見てきたゆえの強みがあると思うんだよね。といっても、CARAVANの元メンバーがいたり、GONGの元メンバーがいたり、ロバート・ワイアットのバンドにいた人がいたり、スティーヴ・ヒレッジと一緒にやってた人がいたりと、メンツ的にはそれなりの経歴を持った人たちが集まってるわけでさ。

でもまあ、カンタベリー系といったらやっぱりSOFT MACHINEとCARAVANが一番大きな柱で、彼らが流れを作ったと言っていい。HATFIELD AND THE NORTHは、その流れを受け継ぎながら集大成させた感じだね。

東風平 東風平:誰かに「カンタベリー系ってどんな音楽ですか?」と聞かれたら、まずこのレコードを聴かせたいというか・・・

チャーリー チャーリー:そうそう。こういう牧歌的なメロディもあったりするし・・・いろんな要素が入ってるから、一言で「カンタベリー系とは」と説明するのは難しいんだけど、でも最初に聴いてもらうにはいいアルバムだと思うよ。

――実際、とても聴きやすいですよね。キレイですし、危険な展開も無いし・・・

チャーリー チャーリー:いや、実はそういうところもあるんだよ。「おいおい、ここ何拍子だよ?」みたいなギター・ソロも入ってるからね。でも、どこか醒めた感じがあるんだ。そうそう、ファズ・オルガンが入るのもカンタベリー系の伝統だね。SOFT MACHINEから始まって、CARAVANでも鳴ってた。そういう感じで、いろんな要素が入ってるのがカンタベリー系なんだよ。

――なるほど、奥が深いんですね。おみそれしました。それでは東風平さん、続いてどんなレコードを登場させますか?

東風平 東風平:僕のは次もやっぱりシンプルなロックンロールで、DOGS D'AMOURの『(Un) Authorized Bootleg Album』を。今回はあえてオリジナル・アルバムではなく、コンピ盤を持ってきてみました。



DOGS D'AMOURはロンドン出身のバンドで、結成は1983年。このレコードは初期のレパートリーをまとめたものなんですが、見た目はこのとおり、いかにも80年代っぽいケバケバしい感じです。(笑)なのでHANOI ROCKSなんかとよく比べられていたのですが、やってる音楽は渋くて、ほとんどFACESとかROLLING STONESみたいな感じなんですよ。そこが個人的にツボでして・・・このしゃがれ声! やっぱりいいなあ。

見た目が派手なので当時はハード・ロックのフィールドでも語られていましたが、彼らの音楽って、実はイギリスのブルージーなロックンロールの伝統に則ったものなんですよね。ロッド・スチュワートのヨレヨレ版みたいなこのヴォーカルも含めて。(笑)彼らのそういう枯れた持ち味が特によくわかるのが、このレコードの最後に入っているアコースティック曲なんです。・・・ね? ひねりも何もない、このベタな感じがいいでしょ?

――ええ、味わい深いです。さきほど聴いたトミー・コンウェルの骨太でワイルドな感じとはまた違った、ウェットな情感や憂鬱さを感じさせるサウンドですね。

東風平 東風平:でしょ? どっちも1988年の作品だけど、雰囲気がまったく違う。

チャーリー チャーリー:うん、アメリカとイギリスの違いがよく出てるよね。聴いてて「この人達、ROLLING STONESとかFACESとかが好きなんだろうな~」とわかるもん。

東風平 東風平:ええ。これが出た当時は中学生だったのでそういうところまでは気がつきませんでしたが、このなんともうらぶれた感じ、まるでボロボロのパブにたむろって酔っ払って歌っているようなこのいなたい感じには一発でやられてしまいました。

チャーリー チャーリー:そういうのってあるよね。当時はわからなかったけど、大人になって改めて聴いてみたら「おお、これって、あれじゃん!」と気がつくことってさ。(笑)

東風平 東風平:まさにそうです。(笑)彼らのアルバムは早くから日本盤が出ていたので中学生の頃から聴いていましたが、音楽的な影響みたいなところにまでちゃんと気がついたのは、大人になってからでしたね。

――僕もそうです。最近になってようやく、そういうところにまで気がつくようになりました。でも、だからこそ音楽を聴き続けることがおもしろいんですよね。

10代で才能を開花させていた「サイモン」と「グレッグ」

――さて、それでは4枚目と参りましょう。チャーリーさん、準備OKですか?

チャーリー チャーリー:はい。もうジャケットの糊が剥がれちゃってますが・・・4枚目はこれ、801の『Live』です。ROXY MUSICフィル・マンザネラ(ギター)がやってたプロジェクトなんだけど、これはその最初のアルバム。バンドの性格上、スタジオ盤より先にライヴ盤が出たんだよ。



東風平 東風平:へえ~。ほとんどインプロ中心にやってたバンドなんですか?

チャーリー チャーリー:いや、そうでもないんだけど・・・改めて聴くと、これをプログレッシヴ・ロックと言っていいのかどうか悩んじゃうね。サイモン・フィリップス(ドラムス)は別格として、このバンドにはいわゆる超絶技巧の持ち主とか、クラシックの素養を持っている人とかはいないんだ。

そもそもフィル・マンザネラからして“変なギターを弾く人”というイメージだしね。どちらかと言うと、プレイヤーというよりはバンマスやプロデューサーといった方面で才能を発揮する人なんだよ。だから、こうしていろんな人を集めることにも長けてる。

例えばブライアン・イーノ(キーボード、ヴォーカル)はROXY時代から付き合いがあったし、ビル・マコーミック(ベース、ヴォーカル)は、ROXYの前、QUIET SUNの頃から彼らと一緒にやってた。この人はその後、ロバート・ワイアットのMATCHING MOLEに行くんだけど、そこでギターを弾いていたのが、さっき出したHATFIELD AND THE NORTHのフィル・ミラーだという。(笑)

東風平 東風平:ファミリー・ツリーを書いたら大変なことになりそうですね。(笑)

チャーリー チャーリー:そうそう。あ、ちなみに今かかってるのはBEATLESのカヴァーだよ。「Tomorrow Never Knows」。

東風平 東風平:言われてみれば・・・うん、確かにそうですね。

チャーリー チャーリー:ね? それからフランシス・モンクマン(キーボード)なんだけど、この人はCURVED AIRの元メンバー。このメンツの中ではテクニシャンと言っていいかと思うけど、それ以上に注目なのがやっぱり、サイモン・フィリップス。当時はほとんど無名でまだ18歳とか19歳くらいなんだけど、この時点でもう既にものすごい演奏をやっててさ、完全にみんなのよく知ってるサイモン・フィリプスなんだよ。(笑)

それからロイド・ワトソン(ギター、ヴォーカル)なんだけど、この人は今もって経歴がよくわからない。(笑)主にスライド・ギターをやる人で、ROXY周辺の人達と付き合いがあったらしいんだけど・・・詳しいところは俺はよく知りません。(笑)

ともあれそういう人達が集まってこういう音楽をやってるわけだけど、聴いてのとおり、いかにもプログレって感じではなく、不思議なポップスというかロックというか・・・ニューウェーヴとは言わないけど、王道からはちょっと外れた感じのことをやってる。

東風平 東風平:そのへんはROXYにも通じるところと言えるかもしれませんね。

チャーリー チャーリー:そうだね、ROXYっぽい感じはあるかもしれない。フィル・マンザネラっておもしろい人でさ、お母さんがコロンビア人だからラテンのアルバムを作ったりもしてたし、さっきも言ったとおり、コンセプトを立てたりまとめたりする能力がすごいから、例えばデイヴ・ギルモアなんかにはすごく評価されてて、PINK FLOYDの最後の作品や彼のソロ・アルバムでプロデューサーに起用されたり、ツアーに同行したりもしてた。

PINK FLOYDの最後の時なんか、録り貯めてあったテープを全部「これ聴いといて」ってデイヴ・ギルモアからドンと渡されたらしいよ。(笑)そんな中から彼が素材を拾い集めて作品としてまとめたのが『The Endless River』なんだって。・・・あ、今かかってるこの曲(「East Of Asteroid」)のサイモン・フィリップスはすごいよ。おっ、ツーバス来た!(笑)あともう1曲、2人に聴いてもらいたい曲があるんだけど・・・

東風平 東風平:・・・お~、KINKS

チャーリー チャーリー:そう。しかも誰もが知ってる「You Really Got Me」。それをブライアン・イーノが歌ってます。(笑)

――(笑)この、ちょっと気だるそうなアレンジがまたいい感じですね。ではでは、対する東風平さん、続いてお願いいたします。

東風平 東風平:大御所には大御所を、ってことで、こちら、ALLMAN JOYSです!



チャーリー チャーリー:お~、いいね~。帯に「アーリー・オールマン・ブラザース」って書いてあるけど、それってコンピなの?

東風平 東風平:ええ。デュアン(ギター)とグレッグ(ヴォーカル、オルガン)のオールマン兄弟がALLMAN BROTHERS BANDの前にHOURGLASSというバンドをやっていたのはご存知だと思いますが、これはさらにその前、ALLMAN JOYS時代に録音された音源をまとめたものです。まずちょっと聴いていただきたいのですが・・・よいしょっと。

チャーリー チャーリー:おっ、「Spoonful」かな? うん、やっぱり60年代っぽい音だね。サイケっぽい感じがする。

東風平 東風平:そうなんですよ。盤が出たのは1973年ですが、録音されたのは1966年。なので、あの頃に流行っていたサイケとかビート・バンドとかの流れを汲んだサウンドにはなっていますが、彼らが本当にやりたかったのはもちろんブルースだった。でも残念ながら、彼らのそうした指向はステージの上でしか発揮されていなかったんです。

実はこのレコードも、彼らのライヴを観てぶったまげた人が「これはやばい!」となって急いでレコーディングさせたものらしいんですが、それでも100%ブルースのアルバムにはならなかった。たぶん兄弟をアイドルみたいな流行のバンドっぽく売り出して、一山当てようとでも考えていたんでしょうね。

結局、2人はこの後のHOURGLASSでもこういう売り出し方をされてしまうんですが、でも、一生懸命がんばってるんですよ、当時まだ19歳とか20歳とかだった若い兄弟が。自分達で曲を書けるのに満足に書かせてもらえない、ブルースをやれるのにちゃんとブルースをやらせてもらえない。それでもなんとかそっちに行こうともがいているという・・・そういうのを考えながら聴くと、このサウンドにもグッと来てしまうんですよね。

チャーリー チャーリー:そうだね。当時の2人にとっては、レコーディングできるというだけでもありがたい話だっただろうけど。

東風平 東風平:ええ。でもまあ、一緒にやれたのは短い間だったとはいえ、この数年後にALLMAN BROTHERS BANDで2人とも好きなことを思い切りやることができるようになったわけですから、駆け出しの兄弟にとっては、追って大きく飛躍するために必要な下積み時代だったのかもしれません。

チャーリー チャーリー:確かにそうかもしれないね。でも、これはこれでいい出来だと思うよ。R&Bっぽい曲も入ってるし、グレッグの声ももうあの声だしさ。(笑)

――これが19歳の声とはとても思えませんよね。渋すぎます。でも、かっこいいです。

「明るい太陽のカーペット」と「50年前のヘヴィ・メタル」

――さて、それではいよいよ大詰め、最終戦です。チャーリーさん、お願いします。

チャーリー チャーリー:はい、それじゃあPINK FLOYD・・・を外してRENAISSANCEで行きましょうか。『Ashes Are Burning』。



東風平 東風平:出た、名盤中の名盤!

チャーリー チャーリー:RENAISSANCEはやっぱり好きだからね~。これも改めて聴くと、プログレと呼んでしまっていいのか悩むところだけど、とりあえずちょっとかけてみようか。・・・ほら、もうキレイでしょ?(笑)

東風平 東風平:いかにもチャーリーさんの好きそうなメロディですね。(笑)

チャーリー チャーリー:使われてる楽器はほぼアコースティックで、ピアノ、ギター、ベース、ドラム。アコギを弾いてるのがマイケル・ダンフォードで、曲を作ってるのは主にこの人なんだ。彼は前作『Prologue』でも曲を書いてたけど、その時は演奏はしていなかった。このアルバムから演奏もするようになったんだけど、当時は事務所の関係か何かでまだゲスト扱いでね、正式メンバーになったのはちょっと経ってからだった。

さっきも言ったとおり・・・今ちょっとシンセも鳴ったけど、基本的にはほぼアコースティックな楽器だけで作られていて、オーケストラを使った曲もいくつかある。でも、やっぱり根底にあるのはブリティッシュ・フォークで、俺にとってはそこがRENAISSANCEの最大の魅力なんだよね。春になったら必ずこのアルバムを聴いてるよ。(笑)

東風平 東風平:アニー・ハズラム(ヴォーカル)の美しい歌声というのもファンがよく挙げるポイントですよね?

チャーリー チャーリー:うん、もちろん好きだよ。そもそもこのバンドって成り立ちが不思議というか、ちょっと複雑じゃない? もともとあったRENAISSANCEはYARDBIRDSキース・レルフとジム・マッカーシーが作ったバンドで、そっちにもピアノをメインとしたクラシカルな響きはあったにせよ、ここまでアコースティックではなかった。あの2人が作ったバンドらしく、ちょっとブルースも感じられる、ロックなサウンドだった。

だけどキース・レルフはハード・ロック寄りの音楽をやりたくなったみたいで、その後RENAISSANCEを辞めて、それからはジム・マッカーシーと共にプロデューサーとして関わっていくことになった。で、新しくメンツを集めるんだけど、シンガーの候補は何人かいたみたいだね。CURVED AIRのソーニャ・クリスティーナとか、マイク・オールドフィールドのところで歌ってたマギー・ライリーとか。だけど結局、アニー・ハズラムを立てたこのメンツに落ち着いた。

そして2ndアルバム『Illusion』を最後にキース・レルフの名前が載らなくなり、残っていたジム・マッカーシーのクレジットも次の『Prologue』を最後に消え、このアルバムからRENAISSANCEはついに完全に独立したバンドになった。これ以降の歴史が長いから、RENAISSANCEといえばまずアニー・ハズラムがいるこっちを思い浮かべる人が多いと思うけど、オリジナルが好きな人もたくさんいる。いい曲がいっぱいあったからね。

東風平 東風平:なるほど~。ちなみにこのアルバムの、チャーリーさんの個人的な偏愛ポイントというと?

チャーリー チャーリー:まずはやっぱり、“明るい”ってところだろうね。プログレってなんとなく暗いイメージがあると思うんだけど、このアルバムは歌詞の内容も明るいものが多いんだ。例えば「Carpet Of The Sun」って曲があるけど、「太陽のカーペット」だなんてタイトルからして明るそうでしょ?自然賛歌みたいなさ。

もちろん寂しい感じの曲もあるけど、でも全体的に太陽とか風とか、そういうイギリスの緑や自然を連想させる歌詞が多いから、おそらくそういうところだろうね。

――確かに。聴いていると心が洗われるようです。穏やかで叙情的で、いい曲ですね。中学生でこの良さに気付いていたとは、さすが慧眼のチャーリーさんです。東風平さんにはとても無理だったんじゃないでしょうか?

東風平 東風平:そうだね。軽く腐されてんのは癪だけど、正直、返す言葉がないよ。中学時分の僕にはぜんぜん理解できなかったと思う。さすがチャーリーさんだよ。

――曲もちょうど映画のエンディングみたいな心地いい感じになっていますが、それでは東風平さん、本日の締めとなる最後の1枚、とっておきの偏愛盤をお願いいたします。

東風平 東風平:よっしゃ、最後はこちら、SIR LORD BALTIMOREでどうだ!



――「どうだ!」って不必要に大きな声で言われても・・・すみません、このバンドのこと、まったく知らないのですが・・・。

東風平 東風平:えっ、知らないの? まったく? 名前すら聞いたことナッシング? そうなんだ・・・んじゃ、レコードかけながら、簡単にバンドの紹介からいきますか。

え~っと、SIR LORD BALTIMOREは、アメリカ東海岸ニューヨーク出身の3人組、ドラマーがリード・ヴォーカルを務めるというちょっとめずらしいパワー・トリオです。

チャーリー チャーリー:へえ~、ドラムの人が歌ってるんだ。

東風平 東風平:そうなんです。これだけ手数・足数の多いドラムを叩きながら歌っているなんて、ちょっと驚きますよね。ちなみにこの『Kingdom Come』は1970年発表のデビュー・アルバムで、バンドはこの後も何枚かリリースしているんですが、以降はどうやらフェードアウトしていったようです。が、ドゥームとかストーナーとかスラッジとか言われている世界では、このアルバムは近年、名盤として再評価されていたりもします。

というのも、お聴きのとおり、50年近く前の作品だというのにめちゃくちゃヘヴィでしょ? このアルバムをレビューした批評家が初めて“ヘヴィ・メタル”という言葉を使った、なんて説もあるくらいで、当時の基準から言ってもかなり破天荒なサウンドだった。

ブルースの素養もあるパワフルなヘヴィ・ロックという点ではCACTUSとかMOUNTAINとかGRAND FUNK RAILROAD、はたまたLED ZEPPELINとかBLACK SABBATHとかCAPTAIN BEYONDあたりを引き合いに出したくなるところですが、彼らはステージでもかなりラウドで激しかったらしく、当時はむしろBLUE CHEERSTOOGESMC5なんかと比べられていたみたいです。

チャーリー チャーリー:あ~、なるほど。1970年にこれだけへヴィなサウンドを出してた、というのは確かにすごいね。時代的に早いと思う。それに音も良いし。そこはやっぱりアメリカものだからなのかな。機材が遅れてたからなのか、同じ頃でもイギリスものだとあんまり音が良くないんだよね。

――へえ~、そうなんですね。こうして聴いてみると、60年代と70年代とでは、時代としてはもちろん連続しているとはいえ、何か大きな違いがあるようですね。

チャーリー チャーリー:その境目のあたりでいろんなことが起こってたからね。毎日のように新しいバンドがデビューして、しかもそのどれもが似たり寄ったりというんじゃなく、みんな違うことをやってた。そんな活発な時代だったんだ。

――世界のあちこちで花火が上がっていた・・・いや、まるでロックのビッグバンが起こったような時代だったんですね。改めて驚きました。さて、それではきれいにまとまったところで(笑)、チャーリーさん、最後に本日の総評を一言いただけますか?

チャーリー チャーリー:おっ! 何も考えてなかったな。でもまあ、う~ん、そうだな・・・

東風平 東風平:「いや~、音楽って本当にいいものですね」ってのはどうです?(笑)

チャーリー チャーリー:うん、結局それに尽きると思うよ。(笑)

東風平 東風平:それでは、「サイナラ、サイナラ、サイナラ!」ってことで。(笑)



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