スラッシュ・メタル四天王“ザ・ビッグ 4”

【問題】以下のグループに共通する言葉は何でしょう?

(1)渡辺綱・坂田公時・碓井貞光・卜部季武
(2)本多忠勝・榊原康政・井伊直政・酒井忠次
(3)三沢光晴・川田利明・小橋建太・田上明
(4)コロッケ・清水アキラ・ビジーフォー・栗田貫一
(5)カンナ・シバ・キクコ・ワタル

・・・わざわざ問題にするまでもありませんでしたね。正解はもちろん「四天王」。ちなみに上から、頼光四天王、徳川四天王、全日本プロレス四天王、ものまね四天王、ポケモン四天王、でした。(笑)

もともと、持国天・増長天・広目天・多聞天を指す仏教用語だった「四天王」という言葉は、やがて転じて“その世界で最も力量のある4人”を表わすようになり、現在に至るまで、ことほどさように幅広く用いられています。「三羽ガラス」「十勇士」「MJ-12」など(?)、他にもこうした呼び方(名数)はたくさんありますね。

改めて考えてみれば、日本のロック・ファンの間では、かねてから「三大ギタリスト」「三頭政治」「東のロッズ、西のY&T」(古い!)みたいな物言いが普通になされていました。おそらくそんな風潮が既に下地としてあったからでしょう、新たに勃興したスラッシュ・メタルについても、わりと早くから、4組の実力者たちが「四天王」と呼び習わされていました。

英語圏では“ザ・ビッグ 4”と称されるスラッシュ・メタル四天王とは、すなわち、メタリカ・スレイヤー・アンスラックス・メガデスのことを指します。

反骨の“大佐”デイヴ・ムステイン

熱心なファンの間では“大佐”とも呼ばれている司令塔デイヴ・ムステイン(ギター/ヴォーカル)を中心に、西海岸ロサンゼルスにてメガデスが結成されたのは、1983年のことでした。

他の三天王がいずれも1981年頃に結成されていたことを考えると、メガデスはひとり出遅れていたわけですが、これにはもちろん理由があります。そしてそれこそ、ムステインを突き動かす推進力であり、メガデスを誕生させた原動力でもありました。

メタリカへの激しい敵愾心――。メガデスはもとより、メタリカに酷い屈辱を味わわされたムステインの燃えたぎる反骨精神を形にすべく生み出されたバンドだったのです。

結成当初のメタリカに名を連ね、後に『キル・エム・オール』に収められることになる初期の代表曲のいくつかを手掛けていたムステインが、高度な技術と非凡な才能を秘めた優秀なミュージシャンであったことは確かです。しかし、当時のバンドにとって彼は、実のところ、迷惑きわまりない厄介者でもありました。

「いつも酔っ払っていた」「麻薬に手を出していた」「すぐに暴力を振るう」などなど、普段から問題を起こしてばかりいたムステインのあまりの素行不良ぶりにほとほと手を焼いたメタリカのメンバーたちは、ついに彼をバンドから追い出すことを決意します。

・・・ただ、そのやり方は、あまりにもえげつないものでした。

記念すべきデビュー・アルバムのレコーディングを行なうため、大陸を横断し、はるばる東海岸へと向かった一行がニューヨークに辿り着いたまさにその日、ムステインはいきなりクビを宣告され、ロサンゼルス行きのグレイハウンド(高速バス)のチケットを手渡されます。4,000kmを超える長旅の末に、“おまえはもう必要なし。はい、サヨウナラ!”と・・・。

“どうせクビにするんだったら、地元を発つ前に言えばいいじゃないか!”と、普通なら思いますよね。でも、逆に言えば、当時の彼らは、そこまでしないと気が済まないほどムステインに腹を立て鬱憤を募らせていたのです。こうれはもう、どっちもどっち、ですね。(溜息)

さしものムステインも、これほどの仕打ちには完膚なきまでに叩きのめされてしまいました。しかし、さすがは傍若無人で鳴らした無頼の徒、ロサンゼルスへと帰るバスの車中で、大佐は早くも新たなバンドの構想を模索し始めていたといいます。

“打倒メタリカ!”を深く胸に刻み込んだムステイン肝煎りのニュー・バンド、メガデスが結成されたのは、それからまもなくのことでした――。

知将メガデス、登場!


『キル・エム・オール』から遅れることおよそ2年、ムステイン以下、デイヴィッド・エレフソン(ベース)、クリス・ポーランド(ギター)、ガル・サミュエルソン(ドラムス)という布陣で制作されたデビュー・アルバム『キリング・イズ・マイ・ビジネス...アンド・ビジネス・イズ・グッド!』をもって、メガデスはついにシーンに名乗りを上げます。

むろん後発の強みもあったでしょうが、それでも、この作品で示されたメガデス流のスラッシュ・メタルは飛び抜けて強烈なものに違いありませんでした。

攻撃性をむき出しにした圧倒的なスピード、緻密に組み上げられた複雑なリフ、めまぐるしく展開する硬質なリズム、起伏に富んだダイナミックな楽曲構成、ジャズ/フュージョンの素養を感じさせるテクニカルな演奏――。こうした音楽的特徴はいずれも、メガデスというバンドが非常に優れたミュージシャンの集まりであることをはっきり物語っていました。

クラシカルなピアノのメロディからアグレッシヴなスラッシュ・メタルへと急激に場面転換される「ラスト・ライツ/ラヴド・トゥ・デス」、技巧派であり頭脳派でもある彼らの面目躍如と言うべき表題曲、目と耳と口を封印された骸骨の姿で表わされるバンドのマスコット“ヴィック・ラトルヘッド”をモチーフにしたスピード・チューン「ラトルヘッド」などなど、このアルバムには、実際、驚くほど高機能で高難度で高完成度な楽曲が満載されています。

試しに、ここに収録されている「メカニックス」と、メタリカの『キル・エム・オール』に収録されている「ザ・フォー・ホースメン」を聴き比べてみるのも、おもしろいかもしれません。

・・・というのも、実はこの2つ、異名同曲なのです。

これはもともと、ムステインがメタリカに在籍していた頃に書かれた曲でした。ゆえにこうして2つのヴァージョンがそれぞれ世に送り出されることになったのですが、メタリカ版「ザ・フォー・ホースメン」が、中間部にミディアム・テンポの叙情的なパートを配したドラマティックな展開になっているのに対し、メガデス版「メカニックス」が、憎々しげに言葉を吐き散らしながら猛スピードで突進する超攻撃的な曲調となっているのはいかにも象徴的です。

ムステイン大佐のすさまじい敵愾心は、デビュー当初から、つまりそれほどはっきりと音楽面にも反映されていたわけです。まさに“怒れるメガデスここに在り!”という感じですね。

さて、こうして個性的すぎる4組の実力者たち=四天王を相次いで登場させたスラッシュ・メタル・シーンは、80年代中盤以降、さらなる隆盛へと向かっていきます。

次回は、そんな当時にアメリカ産スラッシュ・メタルの一大発信基地となっていたベイエリア近郊の状況に迫ってみたいと思います。

第1回:スラッシュ・メタルって・・・なに?
第2回:伝説のデモ『ノー・ライフ・ティル・レザー』
第3回:受け継がれる“邪悪の遺伝子”
第4回:顔面粉砕!渾身の『メタル鉄拳』
第5回:反骨の“大佐”デイヴ・ムステイン
第6回:炸裂!手加減無用のベイエリア・クランチ

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