ドゥーワップはストリート生まれ

ドゥーワップは50年代のアメリカで、ゴスペル、ブルース、ジャズ、スウィングなどに影響をうけ主に黒人の若者の間で生まれた音楽。
基本的には無伴奏のボーカルグループで楽器演奏技術や音楽知識がなくても歌えるので爆発的に広まりました。 ボーカルのみなので街角で歌われることが多く「ストリートコーナーミュージック」とも呼ばれています。ストリートカルチャーと言ってもよいですね。若者達は歌いたい事を歌いたいメロディに乗せて歌っていました。
曲調は大きく分けて、スィートなバラードとロックンロールを取り入れたアップテンポのダンスナンバーの2つのスタイルがあります。

メンバーはリードボーカル、ハーモニーやコーラス担当、ベース担当などで3~6人で歌われます。ライブやレコーディングではバンドも付くことがありすべてのドゥーワップがアカペラとが限らないようです。

このユニークな名称はコーラスの「ドゥーワ」「シュビシュビ」などの歌い方から付いたと言われています。
黒人のものだったドゥーワップですが、白人のグループも登場するようになります。また男性中心でしたが女性のグループも登場しロネッツなど後のガールズグループの先人となりました。

やがてメジャーヒットも出るようになり、大げさなアレンジメントが加えられるなど「商品化」され、初期の荒削りだけど勢いがあったシーンの熱も冷めていきます。
しかし、後のソウル、R&B、ロック、ポップスなどポピュラーミュージック全体への影響は大きなものでした。この後に現れるポップスのコーラスはドゥーワップのスタイルを踏襲しています。
現在の日本ではラッツ&スターやゴスペラーズがドゥーワップのスタイルを継承した音楽を作っていますね。

ポップスはロックンロールの申し子

50年代末、ロックンロールのブームが下火になった頃現れたのがブリル・ビルディング・サウンドと呼ばれるティーン向けのポップスでした。
ニューヨーク、マンハッタンにあるブリル・ビルディングというビルに多数の音楽出版社が入っていて、そのスタジオでは作曲家たちが大量のヒットソング作りに励んでいました。そこで生まれたポップスをブリル・ビルディング・サウンドと呼ばれています。

職業作曲家・作詞家の作った楽曲をプロデューサーが買い付け、シンガーに歌わせるという、一見ロックンロール以前のシステムに戻ったかのように見えますが、時代の変化に応じレコード会社は制作方法の見直しをする必要がありました。
ロックンロール登場以来、リスナーの中心はフランク・シナトラやぺりー・コモを聞いていた大人たちではなくティーンエイジャーになっていました。そこで若いソングライター達が集められます。キャロル・キングは「ロコモーション」をリトル・エバに提供した時はまだ16歳という若さでした。
ロックンロールは不良、ポップスは優等生というイメージを持ちやすいですが、それは間違いです。若い彼らはロックンロールの洗礼を受けており、強くリスペクトもしています。キャッチーでスィートなメロディと歌詞を持った楽曲の奥底にはしっかりとロックンロールの魂が引き継がれているのです。さらにポップスの音楽性、伝統性なども併せ持った高度な楽曲に仕上げられています。

大西洋を挟んだ港町の同世代の若者達がそんなソングライター達に熱い視線を送っていたのでした。

キャロル・キング&ジェリー・ゴーフィン、バリー・マン&シンシア・ウェイル、バート・バカラック&ハル・デヴィッド、フィル・スペクターらの才能溢れるクリエイターがこの時代に集結していた事は奇跡的ですが、彼らの作り出した音楽もまた奇跡的な美しさに満ちています。それは現代人の耳にも躍動的、感動的なおかつ優しく響くのです。

MASTERS OF POP BEST COLLECTION 1000 Vol.3