80年代以降のフュージョン・シーン
70年代~80年代にかけて大いに盛り上がったフュージョンシーン、80年代末ぐらいになると人気も落ち着いてきます。いわゆる「ブーム」ではなくコンテンポラリー・ジャズのひとつとして定着していったのだと思います。
フュージョン・ミュージックはさらに発展、拡散していきます。アドリブを最低限にしイージー・リスニングとしてスムース・ジャズを奏でる者、火花散るインタープレイを繰り広げる者。ポップなメロディとアレンジでより大衆的な音楽を作る者、ニューウェイブ、ヒップホップに接近しオルタナティブな音楽を作る者。ディスコ、ダンスミュージックを取り入れる者、ブラジル音楽などの他国の音楽と融合する者、様々な試行と挑戦が続きます。元々、この音楽がミュージシャンの挑戦としてあらゆる音楽へアクセスしたことから始まった事を考えれば当然なのかもしれません。
この頃はハービー・ハンコックのV.S.O.P.、ウィントン・マルサリスのデビューなどがあり、「4ビートへの回帰」が叫ばれた時でもありました。そのことがフュージョン・シーンの沈静化のひとつの原因かもしれません。しかし、エレクトリックな音楽に4ビートを導入することで新しい表現が生まれています。
またコンピューターやシンセサイザーなどテクノロジーの発達も表現に変化をもたらしています。それもただの打ち込みではなくジャズ・ミュージシャンらしく柔軟な姿勢で取り入れている例が多いです。
さらに80年代マイルスバンドの卒業生、マイク・スターン、ジョン・スコフィールド、マーカス・ミラーなど新世代のミュージシャンの活躍がまた新しい音楽を作り出しています。
ここまで来ると「フュージョン」という言葉も意味がなくなるのかもしれません。
これは別の文脈で語るべきなのかもしれませんが、最近ではクラブ的、DJ的視線からのジャズ/フュージョンの評価が高まっています。視点が変わればまた新しい魅力が見えてきます。「フュージョン」という言葉の意味も少しづつ変化していくようです。