ゴロワーズを吸ったことがあるかい

ムッシュかまやつが広く知られるようになったのは、ザ・スパイダースだろう。
田辺はすでにソロシンガーとして活動していたムッシュかまやつを入れることによってバンドのクオリティをあげる事を考えたのだ。かまやつはコンポーザーとしてだけではなく、最先端のサウンドやファッションなどを持ち込み、バンドを特徴付ける事に貢献した。

ザ・スパイダースは実にバランスの取れたバンドだった。
後に芸能プロダクションを設立するリーダー田辺昭知、作曲家でプロデューサー的であったムッシュかまやつ、井上孝之、大野克夫、加藤充という優秀なプレイヤー/アレンジャー、タレントとして大人気になる境正章、井上順のエンターテイナー二人をフロントに擁するという鉄壁なメンバー構成。

GSブーム前夜の1966年にリリースされたスパイダースのファーストアルバムは日本のバンドとしては初の全曲オリジナル。

スパイダース在籍中にムッシュは一人多重録音のソロアルバムを制作する。そうした手法の作品は世界的にもほとんどなかった。

その後も持ち前の好奇心と卓越したセンスでジャンルも世代も軽く飛び越えた活動をする。興味がある人物がいると一緒にバンドを組んだり、レコーディングに参加したりしている。巨大なホールのコンサートも小さなクラブでのイベントも自分が面白いと感じれば出演した。テレビ・ドラマやバラエティ番組にも出演し音楽ファン以外にも人気があった。

ムッシュの最大のヒットは吉田拓郎が作詞作曲した1975年の「我が良き友よ」である。拓郎節全開のこの曲のB面にさりげなく収録されていたのが「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」だった。アメリカの名ファンクバンド"タワー・オブ・タワー"を従え、ムッシュの語りのようなヴォーカルが乗るクールでグルーヴィなナンバー。当時の日本でこれほどの名曲を作るセンス持ったミュージシャンは多くなかった。瞬く間に音楽ファンの間で話題となった。何度か再録されたが、その度にその時代の最先端のミュージシャンが参加した。この曲は今でもプロアマ問わず多くのバンドでカバーされ、クラブDJがスピンしている。

彼は時代の波を飄々した姿勢で乗りこなしてきた。それは流行を追ったのではなく、時代が 彼を放っておかなかったのだろう。
決して自己主張が激しい人ではなかった。いつの間にか現れて、あの笑顔で皆を喜ばせ幸せにする。それはスパイダース時代から変わっていない。

最近ではベーシストのKenKen(31)、ギタリストの山岸竜之介(17)と共にメタル・ファンク・バンド"Life is Groove"で活動していた。

良い仲間に囲まれ、若者からは良き兄貴分として慕われ憧れの存在だった。素晴らしい音楽人生だったのではないだろうか。

So Long, Monsieur.

(敬称略)

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