尾崎豊

7メートルある照明からのダイブにより、足を骨折。その後ステージは止められないと、ライブを続行。お馴染みのまさに伝説的なエピソード。

当時新人だった尾崎が84年に開催された反核・脱原発フェス「THE ATOMIC CAFE MUSIC FES. '84」の持ち時間30分での衝撃的なパフォーマンスでした。

小沢健二

93年当時、時代の寵児になりかけていた小沢健二がフリッパーズギターを解散後、ソロデビューフリーライブを行った。

セットリストはソロデビューアルバム全8曲というオール新曲。その中には10分を超える大曲「天使たちのシーン」もあった。

フリッパーズギターの頃からは打って変わった、ソウルフルでメーセージ性の高い楽曲で埋め尽くされた。

また、2025年に32年ぶりの野音でのフリーライブ演奏を行い、その模様がオフィシャル海賊盤」とそしてアナログ盤がリリースされます。

RCサクセション

野音といえばと思い浮かぶアーティスは人様々いるかと思いますが、個人的にはRCサクセションになります。

81年~90年にかけて毎年「夏の野音」を行うなど何度も野音でライブを行ったRCだが、その中でも「PLEASE ROCK ME OUT」は大きな衝撃を与えました。 不遇とも言えるフォーク期を超え、エレクトリックに移行したRCサクセション伝説のライブ。 バンドブームなど後世の日本のロックシーンに大きく影響を与えた野音でのパフォーマンスとなりました。

(余談になりますが、中森明夫の小説「東京トンガリキッズ」にて、RCサクセションの野音クリスマスライブに行き、音漏れを聴くカップルの話があります。何とも言えない甘酸っぱく生々しいお話です。気になった方ぜひ読んでみてください!)

キャロル

矢沢永吉が率いたロックンロールバンド、キャロル解散ライブは野音で行われました。

アンコール3曲目、観客のボルテージが最高潮となった時、爆竹から発泡スチロールに引火し、雨の野音でキャロルは文字通り燃え上がりました。なんという伝説。。

また解散後、矢沢のソロデビュー曲は「アイ・ラヴ・ユー、OK」というバラードであったため、キャロル時代のファンの中には認めていないファンも多く、ツアーチケットの売れ行きが悪かったそうです。

しかし解散ライブから1年後、チケットを完売させ、野音へ凱旋。そこから新たな矢沢永吉伝説が始まった。

ブルーハーツ

ブルーハーツはデビュー年の87年に野音でのワンマンライブを行いまいた。

しかし、その3か月前に行われたラフィン・ノーズの野音公演で将棋倒しにより死亡事故が起こってしまいました。 そのため、再発を防ぐため柵が設置され警備員が配備されるなど、現在では当たり前ですが、危険防止対策が取られました。

逆を言えばそれまでは柵も警備員もなく、特にロックのライブは自由すぎる空間だったため、配備にあたり過剰警備と論争になっていたそうです。

そんな中開催されたブルーハーツのライブ、最高の名曲達を披露し、甲本ヒロトは3000人に叫んだ。

「今日は本当に最高じゃ。どうやら、この鉄の檻は人の心までも縛れんようじゃな。ざまあみろ!」