SACD

■イエロー・マジック・オーケストラ

1978年に発表された記念すべき1stアルバム。「ファイアークラッカー」「東風」を含む全10曲収録。

■イエロー・マジック・オーケストラ <US版>

1stアルバム「イエロー・マジック・オーケストラ」を米国市場用にリミックス、一部曲削除、ジャケット変更を施した世界発売盤。「イエロー・マジック (東風)」を含む全9曲を収録。

■ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー

「ライディーン」「テクノポリス」等の人気曲を収録し、社会現象的なテクノポップ・ブームを巻き起こした1979年発表の2ndアルバム。全8曲収録。

アナログ盤も同時発売!

『Collector's Vinyl Edition』は特製外箱に45回転2枚組でカッティングしたディスクと共に、書き下ろしライナーノーツ、関係者インタビュー等を掲載した別冊ブックレット、当時の制作資料のレプリカ等を収納。『Standard Vinyl Edition』はオリジナル発売当時のフォーマット通りの33回転LP。帯、インナー、レーベルは当時の仕様を可能な限り忠実に復刻!

スタッフが語る、YMOの音楽

僕にとってYMOの音楽は細野さん(何故か「さん」付けになる)の音楽だ。もちろんあの3人だからこそYMOの音楽が実現できたのは百も承知。だけど細野さんのアイデアがまずあったと思うのだ。

細野さんの最初のソロアルバム『Hosono House』(1973)はいかにも元はっぴいえんどのメンバーが作った作品だった。しかし75年のセカンド『トロピカル・ダンディー』は音楽メディア、音楽ファンは驚愕した。細野さんの音楽の旅はずっと先に行っていた。アメリカ西海岸からニューオリンズ、カリブ海の島々を回りヨーロッパからシルクロードを通り上海へ、ある時はハワイや名も知らぬ南国のジャングルだったり。時代も1940年代や50年代へ自在にタイムスリップ。だけどよく見るとそれはハリウッドの撮影スタジオに作られたセットだった。それも現代のような精密なものではなく、書き割りのセット。そんな怪しさ・偽物感・勘違い・冗談満載のエキゾチック・ミュージック指向の作品になっていた。旅はその後の2作『泰安洋行』(1976)『はらいそ』(1978)と続き、その途上で僕らはマーティン・デニーやレス・バクスターらの音楽家を知ることになる。

予兆は確かにあった。

『はらいそ』には坂本・高橋が参加しているし、アルバムの名義が「ハリー細野&イエロー・マジック・バンド」である。シンセサイザーも積極的に取り入れている。 鈴木茂、山下達郎、細野晴臣が参加した南太平洋のイメージアルバム『PACIFIC』(1978)の最後に「コスミック・サーフィン」が収録されている。それまでのアルバムの雰囲気を一気に覆す電子音+コンピューターミュージック。後にYMOのファーストアルバムに収録されるが、このバージョンはまだまだ荒削り。プレYMOという印象だ。

そして1978年末にYMOファースト・アルバムリリース。僕らはシンセ・ミュージックとしては既にクラフトワーク、タンジェリン・ドリームあるいはジョルジオ・モロダー、DEVOなどの音楽を聞いていた。YMOの音楽はユニークだった。パンク/ニューウェイヴを横目でみながら、エキゾチックなサウンドをコンピュータと人間に無機的に演奏させダンスミュージックに仕立てている。ヨーロッパ・アメリカ文化が勘違いして作ったアジア風音楽をあえて日本人が電子音で演奏するという逆転の面白さがある。

79年のセカンド・アルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』はエキゾチカ要素が少し後退しポップな面が強調され大ブレイク、社会現象にまでなった。筆者がある日このアルバムを持ってレコード・ショップのレジに並んでいると数人前に同じレコードを持った小学生を発見して大ヒットとはこういうものかと感じたものだ。その小学生達がその後の日本の音楽を面白くしているのだろう。

YMOはその後もアンビエント、ミニマル、エレクトロニカ、アヴァンギャルド、歌謡曲、R&Bなど様々な音楽性を見せていく。

細野さんは今でも音楽の旅を続けている。氏の好奇心は年齢を重ねても留まることを知らないどころか、増々強くなっているようだ。僕らもちゃんと付いて行かないと置いて行かれてしまう。(K.I)

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