椿屋四重奏 インタビュー

インタビュー回答者:中田裕二

バンド名の由来を教えて下さい。初めから日本語でバンド名をつけようと決めていましたか?
他に候補にあがったバンド名があったら教えて下さい。

中田:クラシカルで日本的な名前にしたくて命名しました。他にも沢山ありましたが恥ずかしくて言えません・・・。
ちなみに初めは椿屋カルテットという名前でした。屋号に「椿」を持ってきたのは日本を代表する花だから。

なるほど。仙台で結成し、上京しようと本気で思い始めたのはいつ頃からですか?上京するきっかけとなった事柄は?

中田:仙台でバンドを結成して一年過ぎた頃から上京しようと思いました。根拠の無い自信があったよ。

バンドで上に行きたいと言う気持ちが芽生えて来たのはいつ頃からですか?

中田:「ロックバンド」が好きだったから。

中田さんはソロで活動して行くと言う考えはありませんでしたか?

中田:そのフォーマットにはこだわった。

バンドと言う形にこだわりがあったんですね。今作『薔薇とダイヤモンド』はタイトル通り“美しいけれども突き刺してくる感覚”を実際に感じる事の出来るアルバムに仕上がっていると思いますが、今までの作品に比べると分かりやすい曲調のものが多くなりましたね。過去のアルバムと比較して御自身達はどう変化していると思いますか?

中田:ようやく自分の好きな世界観を自覚的に表現出来るようになってきたかな。

『薔薇とダイヤモンド』は過去のアルバムよりもすんなりと聴き易い楽曲が多い反面、グランジ、オルタナっぽさも強くなっている感じもしました。シンプルになりつつ響いてくる楽曲が多くなった印象も強く、洋楽っぽさも出ている感じもしますが、このアルバム制作時、どんな点に一番気を配りましたか?

中田:とにかく唄メロを立たせたかった。あとはロックのツボをおさえてみました。

アルバム制作時、良く聴いていた音楽はどんなものですか?

中田:いや~、あまり聴かなかったなぁ。。。

そうなんですか。野音ではとても安定感のあるライヴを披露してくれましたが、初の野音という事で緊張はしませんでしたか?全席指定でスタンディングのハコとは観客との距離感も違いますが、ゆとりのある中でのステージ、初野音の感想をお聞かせ下さい。

中田:あのサイズで堂々と唄えた事で改めてこのバンドの可能性の大きさを実感出来たよ。それと同時に、まだまだこのサイズでは収まりきらんなとも思った。ハコが大きくなればなるほど輝けるバンドだと思います。

観てる側もそう感じました。歌詞の中には“雨”と言う言葉が出てくる事が多いですが、“雨”には色々な“ロック”を感じさせますね。例えば、“寂しさ”だったり“刹那”だったり、“儚さ”だったり、ロックと似ている部分があると思いますが、“雨”を詞の中でよく使うのは色々イメージしやすい部分があったりするんでしょうか?

中田:雨の日はどうしても気分が内向的になるからなぁ。精神世界に入りやすいですよ。

野音のライヴでは“秋の夜の野外ライヴは初めて”とおっしゃっていましたが、椿屋四重奏のイメージにピッタリ合ったロケーションの中で出来ていた様に思います。虫のさえずりも相乗効果をもたらし、より雰囲気が出ていた様に思いましたが、雨もパラつき、“雨”と言う言葉が出てくる楽曲とロケーションが最高にマッチしていましたよね。野外で、不安定な天候の中演奏する時に苦労する点はありますか?

中田:屋内では曲の持つ熱や温度みたいなものを調整しやすいですが、野外ではその辺が固定されてますからね。だからこそあの日は映えたんだと思います。

なるほど。野音のMCで、“艶ロックを証明するツアーの始まりでもある”と中田さんはおっしゃっていましたが、どんな部分の艶をより強調して行きたいですか?

中田:色気というものは単なる表面上のものじゃなく人間の深みからくるものだと信じておりますので、そういう奥行きのある世界を音楽で表現出来たらなと思います。ただのエロじゃなくて。

歌詞はフィクションにこだわって書いているとお聞きした事がありますが、自己の感情を投影しながら空想の話に見せかけて書いていると言う事でしょうか?それとも、全くのフィクションをよりリアルに見せかけていると言う事でしょうか?

中田:リアルをフィクションに加工して、そのフィクションをリアルに届けたいですね。

深いですね。歌詞の中でも“僕”“私”“俺”と曲によって表現方法が違いますが、使い分ける事によってイメージ、感情などを変化させている部分はありますか?

中田:曲ごとにキャラクターを使い分けます。もちろんベースは俺自身だけど。そんな事言うと多重人格っぽいね。まあ基本的に人間は多面体だと思う。

過去に発売されたアルバムを聴くと、ハードでソリッドなテイストの楽曲が多いので、椿屋四重奏が奏でる音楽は激しいものが多い…と言うイメージも強いのですが、バラード調の楽曲を作る方が得意ではないですか?

中田:そうっすね、バラード書かせたら無敵だと思います!

楽曲を聴いているとそう思います。『深紅なる肖像』に収録されている「嵐が丘」を聴いた時に、メロディー、歌詞共に物凄く心に突き刺さって来て、思い入れの深い楽曲なのでは?と感じがしましたが、実際「嵐が丘」には自分の感情がより投影されていたりしますか?

中田:作った頃はそんなに意識してなかったけど、バンドが成長するにつれパーソナルな唄になってきてる気がする。

椿屋四重奏の楽曲にはサウンド、歌詞共に具体性よりもイメージが膨らむものが多い気がしますが、いつもどんな部分に意識を向けて作っていますか?

中田:人それぞれにイメージ出来るようにしてます。ストーリーを決着させるのは聴き手かも。

メロディーのみならず、歌詞に選ぶ言葉にも“美”と“切なさ”を感じますが、歌詞やメロディーはすんなり浮かぶ方ですか?

中田:メロディーはすんなりですが、歌詞はすごく丁寧に作るので時間かかります。

中田さんは安全地帯やチャゲ&飛鳥が好きで影響を受けた部分もあるとおっしゃっていましたが、日本のいわゆる歌謡曲と呼ばれるものの方が好きですか?曲を聴いていると、海外のグラムロックあたりからも影響を受けているんじゃないかな?と思ったりしますし、ギターフレーズを聴いていると、歌謡曲のみならず、メタルやハードロックなんかの影響も受けている様に感じますが、影響を受けた洋楽アーティストはおりますか?

中田:歌謡育ちでロックに恋した男です。デビッド・ボウイ、スティング、モトリーやエアロ、トム・ウエイツにビル・エヴァンス、とにかく何でも聴きますよ。

そうなんですか。話は変わって、野音を皮切りに長いツアーが始まりましたが、今回のツアーで目標としている事、また、見てもらいたい部分はどういうところですか?

中田:このバンドの懐の深さですね。めまぐるしく成長していく過程。すごくドキュメンタリーなツアーだと思うよ。

初期は着物を着てライヴをしていましたけれども、今はもう着物を着てライヴする事は考えて無いですか?

中田:ギャグになるからやりません。着物とギターは似合わんよ。

そうですか(笑)ルックスと言う部分においての重要性や自分達が作り上げるイメージみたいなものは変化してどんどん確信的になって来ていると思いますが、『椿屋四重奏』、『深紅なる肖像』、『薔薇とダイヤモンド』、3作品に共通している部分…こんな思いだけは今も変わってないな…と言うものはありますか?

中田:自分が日本人で在る事の誇り。「ロックバンド」への憧れ。基本は何も変わってませんね。

次のアルバムの構想を既に練っていたりしますか?構想されていたら、どんなものにしたいかちょっとだけお聞かせ下さい。

中田:さらにハードでメロウ(いつも同じだね)。これまで以上に音楽的水準の高いものになりそうです。

それは実に楽しみですね!ミュージック・ステーションに出演された時は緊張しましたか?

中田:居心地はあまり良くはなかったねぇ。。。でもまた出なきゃと思います。

中田さんは、映画「誰が心にも龍は眠る」にも出演されましたが、苦労した点、楽しかった点は何ですか?

中田:演じきる事の大切さを学びました。

役者業とアーティスト業、それぞれに魅力があると思いますが、今後も何等かの作品に役者として出演するご予定は?もしくは、出たい!・・・と言う願望はありますか?

中田:またいずれやりたいかも。

椿屋四重奏が目指す世界観とはどんなものですか?

中田:愛にあふれたロックスペクタクル!

実は今まで言えなかったけれども、ファンに求める事、メンバーに求める事などありますか?

中田:とにかくこの“椿屋四重奏”という一大プロジェクトを楽しんでもらえれば幸せです。メンバーへは、もっと気の利く大人になって下さい(笑)

最後に、ファンの方々にメッセージをお願いします。

中田:愛してます!これからもお付き合い宜しくお願いします。

ありがとうございました。

ライヴレポート

2005年10月8日(土)、時折小雨が降りつける日比谷野外音楽堂に多くのファンが集結し、椿屋四重奏コンサートツアー2005"ROCK ON GENTLEMEN"「愛と幻のメリーゴーランド」が行われた。椿屋四重奏にとっては初の野音となる今回、広々とした野外でのステージ、いつもと違った色合いになるだろう・・・そんな期待に胸を膨らませつつ、彼等の登場をじっと待った。

ライヴシーン1

ラテン系のSEが流れる中、ステージが真っ赤な照明に照らされ椿屋四重奏の面々が登場し、ライヴの幕が開ける。虫のさえずりや雨…自然の演出は見事なまでに舞台に彩りを増していた。『終列車』から始まったこの日のライヴ、椿屋四重奏のテーマでもある“艶”を始まりから惜しみ無く出しつつも、攻撃性の強い一曲に圧倒される観客、会場はエモーショナルな雰囲気に早くも包まれていた。

ライヴシーン2

“思い返すとポッと頬を赤らめてしまう様な素敵なLiveにしたいと思います。”・・・と中田裕二がMCで語った後『プロローグ』が始まる。美、色気、艶、儚さ、ロック・・・全てが詰まっている一曲が野音の夜に灯火を与えた。

“野音でやると聞いて「やった!」と思ったんだけど、一度も来た事がなくて、凄く気持ちいい場所だって言われて、今、本当に気持ちがいい!下見もしてみたかったけれど、神聖なものと受け止めて、下見もしないで今此処に立ってます。最高のロケーションの中、歌が唄える事を幸せに思うよ。”

ライヴシーン3

曲と曲の合間にこう語った中田裕二の表情には嬉しさと強さが漲っていた。その後『群青』『舌足らず』・・・とロックなナンバーをぶちかましながら、ギターを持たずにスタンドマイクでしっとりと唄いあげる『紫陽花』や、まるで観客に投げキッスをする様に甘く唄いかける『君無しじゃいられない』なども披露し、『風邪の何処へ』でLiveも終幕。そしてアンコールを迎え最後に演奏されたのが『嵐が丘』。バラードと一言で片付けてしまうには勿体無いが、最高のバラード・ソングを、夜の野音で響かせていた。色気、艶、言葉の美しさと破壊力、突き刺すギターの音と中田裕二の声、自分達を把握している完成度の高さ、まだ24歳とは思えぬ世界観を繰り広げており、野音が初めてとは思えぬライヴを堪能する事が出来た。

ライヴシーン4

“ぼくらの中では艶ロックの証明ツアーの始まり。しかも、降水確率70%なのに、余り降らなかった。運が味方してくれた、僕等とあなた達の為に。。これからも長く険しい道のりになるでしょうが、もう負けません!僕等、最高にカッコイイから!”

こう語ってくれた様に、どんどん進化して行くであろう椿屋四重奏。多くの人々を魅了してしまうステージを披露してくれる彼等に、どんどんハマって行くばかりだ。
(取材・文:磯山みゆき
2005年11月初旬)

プロフィール

椿屋四重奏(つばきやしじゅうそう)
中田裕二 Vocal&Guitar
永田貴樹 Bass
小寺良太 Drums

2000(平成12)年仙台で結成、翌年東京に活動拠点を移す。幾度のメンバーチェンジを経て、一昨年(平成14)11月に現編成に。

自主制作で2枚の音源を発表(いずれも2,000枚以上を売り上げ完売)後、2003(平成15)年8月27日1st Mini Album『椿屋四重奏』でデビュー。アルバム全体にみなぎる初期衝動と鋭角的なサウンド、そして艶やかに非日常を歌う世界観が巷で話題を集め、その名を一躍全国に轟かす。

その後、膨大な数のイベント出演や全国ツアーを経験し彼ら特有の熱をさらに上昇・加速させ、前作より約半年のインターバルを経て完成した1st Full Album『深紅なる肖像』を2004年4月21日発表。

東京・大阪・仙台のワンマンショーも成功し、今夏は「ROCK IN JAPAN FES-TIVAL 2004」をはじめ全国のフェスに出演、いよいよメインストリームへ踊り出る。