商品説明
極貧の暮らしを耐えに耐え、働きに働き、遂には息子を世界的な医者に育て上げた女の一生を、俊英が万感の思いを込めて描く力作。祈りの日々から希望を求める姿が浮かび上がる
「おまイの。しせ(出世)には。みなたまけ(驚き)ました。わたくしもよろこんでを(お)りまする。なかた(中田)のかんのんさまに。さまにねん(毎年)。よこもり(夜籠り)を。いたしました。」(明治45年、シカが英世に送った手紙より)
極貧の日々を耐えに耐え、働きに働き、ついには息子を世界的医学者に育て上げた一人の母の生涯を、俊英が万感の思いを込めて書き下ろした鎮魂歌。
1915(大正4)年10月10日、野口英世の母シカは、大阪箕輪の料亭「琴之家」で、息子や大勢の人々に囲まれ、それまで一度も口にしたことのないような料理を目の前に、夢のような時間を過ごしていた。15年ぶりに帰国した息子が、年老いた母に再会、親孝行を果たすための一夜の催しだった。
だが磐梯山のふもと、会津若松でのシカの人生は、まさに赤貧洗うがごとしの日々が続いていた。わずかな土地で農作業にいそしむだけではかなわず、夜は猪苗代湖で魚をとり、冬は男もひるむ雪山を越えての荷物運びを重ね、日々の暮らしをしのいできた。
その強靭な精神を支えていたのは、息子に大やけどを負わせてしまった負い目と、厚い信仰心によるものだった。
本書からは、そうした強くて逞しい母の、祈りと感謝の日々が浮かび上がってくる。偉人伝としての野口英世はよく知られているが、その母を主人公にした親子物語は、新たな感動をよぶことだろう。
「おまイの。しせ(出世)には。みなたまけ(驚き)ました。わたくしもよろこんでを(お)りまする。なかた(中田)のかんのんさまに。さまにねん(毎年)。よこもり(夜籠り)を。いたしました。」(明治45年、シカが英世に送った手紙より)
極貧の日々を耐えに耐え、働きに働き、ついには息子を世界的医学者に育て上げた一人の母の生涯を、俊英が万感の思いを込めて書き下ろした鎮魂歌。
1915(大正4)年10月10日、野口英世の母シカは、大阪箕輪の料亭「琴之家」で、息子や大勢の人々に囲まれ、それまで一度も口にしたことのないような料理を目の前に、夢のような時間を過ごしていた。15年ぶりに帰国した息子が、年老いた母に再会、親孝行を果たすための一夜の催しだった。
だが磐梯山のふもと、会津若松でのシカの人生は、まさに赤貧洗うがごとしの日々が続いていた。わずかな土地で農作業にいそしむだけではかなわず、夜は猪苗代湖で魚をとり、冬は男もひるむ雪山を越えての荷物運びを重ね、日々の暮らしをしのいできた。
その強靭な精神を支えていたのは、息子に大やけどを負わせてしまった負い目と、厚い信仰心によるものだった。
本書からは、そうした強くて逞しい母の、祈りと感謝の日々が浮かび上がってくる。偉人伝としての野口英世はよく知られているが、その母を主人公にした親子物語は、新たな感動をよぶことだろう。
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収録内容
1 | 第1章 英世の幼少時代(わが子の大やけど |
2 | 働きに働く |
3 | 三ツ和小学校入学 |
4 | 小林栄との出会い |
5 | 手術 |
6 | 高等小学校卒業) |
7 | 第2章 少女シカ(祖母ミツとの二人暮らし |
8 | 奉公 |
9 | 祖母の死 |
10 | 戊辰戦争 |
11 | 身勝手な夫) |
12 | 第3章 医学への道(会陽医院の書生 |
13 | 志を得ざれば、再び、此地を踏まず |
14 | 清作から英世へ |
15 | 英世の渡米 |
16 | 産婆 |
17 | シカの手紙 |
18 | 帰国) |