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商品説明
日本において「国語」はあって当然のようにみなされてきた。しかし、多言語社会日本を考える際には、こうした考え方を相対化し、より柔軟な多言語へのまなざしを見出していく必要がある。つまりは、「国語」からはみえないものへの視線をとりだすことが必要とされる。なにかを「とらえる」ということは、意志的なものであり、みたくないものはみない、みたいものだけをみる、ということだ。本書は、歴史的に「みえない」ものとされた、そして現在も日本社会で「みえない」ものとされていることばたちを念頭におき、「みる」側の構図をえがきだす。
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収録内容
1 | 序章 「国語」からみえるもの/みえないもの |
2 | 第1章 ことばをどのようにみようとしてきたのか―近代日本における「言語学」の誕生 |
3 | 第2章 「言文一致」がみえなくすること―作文・日記・自伝 |
4 | 第3章 虐殺とことば―関東大震災時朝鮮人虐殺と「一五円五〇銭」をめぐって |
5 | 第4章 となりの朝鮮文字 |
6 | 第5章 朝鮮人の言語使用はどうみえたか―村上広之の議論を中心に |
7 | 第6章 「ひとつのことば」への道からみえるもの―斎藤秀一編『文字と言語』をめぐって |
8 | 第7章 「ことのはのくすし」は何をみていたのか―陸軍軍医監・下瀬謙太郎をめぐって |
9 | 第8章 漢字廃止論の背景にみえるもの―敗戦直後の労働争議とからめて |
10 | 第9章 スターリン言語学からみえるもの―民主主義科学者協議会編『言語問題と民族問題』をめぐって |
11 | 終章 「やさしい日本語」がみおとしているもの |