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商品説明
放送における「文化の機会均等」とはどのようなものだったのか。昭和の幕開けを1年足らず後に控えた1926年1月、女性記者として知られていた大澤豊子が東京放送局を訪れる。以来、日本の放送は、女性向け教養番組の編成を本格化し、文化の伝播に貢献した。そこでは、辣腕の女性プロデューサーや天才華道家が活躍し、「花」(花を活ける文化)を主題とする講座が数多く放送された。その系譜をたどり、昭和期放送メディアの意義を考察する。
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収録内容
1 | 第1章 昭和期の女性向け教養番組と「花」 |
2 | 第2章 ラジオ草創期の女性向け教養番組と「花」 |
3 | 第3章 ラジオ戦時期および占領期の女性向け教養番組と「花」 |
4 | 第4章 ラジオからテレビへの転換期における女性向け教養番組と「花」 |
5 | 第5章 テレビ発展期の女性向け教養番組と「花」 |
6 | 第6章 テレビ変化期の女性向け教養番組と「花」 |
7 | 第7章 昭和期の女性向け教養番組と「花」が遺したもの |