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商品説明
精神科医が自分を振り返り、自らを「発達障害」の一つと診断したとき、自分というもののあり方、他者との関係や理解・了解はどのように見えてくるのだろうか。本来一つにはまとめられない一人間の身体や心の傾向性が、定義づけられた診断名によって一つに名指されることの問題。診断名は説明を可能にするが、それは人を了解することと同じ事態なのか。むしろ何か質的な違いがあるのではないか。互いに「通じる」「分かる」ことへの接近の道を探る。
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収録内容
1 | 第1章 発達性協調運動障害者としての「私」史(逆上がりと跳び箱の記憶 |
2 | 「みんな僕のことが好き」という確信 ほか) |
3 | 第2章 「診断」されるということ(私のスペックと「私」の関係 |
4 | 病名というものには二種類ある ほか) |
5 | 第3章 了解するということ(三つの異なる「分かってくれない」 |
6 | 静的了解と発生的了解 ほか) |
7 | 第4章 了解を断念しなければならない時(了解不能という判断 |
8 | 了解を断念してはならない場合 ほか) |
9 | 第5章 事例「私」の正しい取り扱い方(治療・保護・スプラ |
10 | 病気として治療する ほか) |