商品説明
人間が言語に規定された存在であることは、二〇世紀の哲学の前提だった。二一世紀に入って二〇年が過ぎたいま、コミュニケーションにおける言葉の価値は低下し、“言語を使う存在”という人間の定義も有効性を失いつつある。確かに人間は言語というくびきから解き放たれた。だが、それは「人間らしさ」の喪失ではなかろうか?―情動・ポピュリズム・エビデンス中心主義の台頭、右・左ではない新たな分断。コロナ禍で加速した世界の根本変化について、いま最も注目される二人の哲学者が、深く自由に精緻に語り合う。
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収録内容
1 | 第1章 意志は存在するのか―『中動態の世界』から考える(「する」か「される」かではない行為 |
2 | 意志という概念の矛盾 ほか) |
3 | 第2章 何のために勉強するのか―『勉強の哲学』から考える(メタ自己啓発としての『勉強の哲学』 |
4 | 教わることそのものの重要さ ほか) |
5 | 第3章 「権威主義なき権威」の可能性(ムラ的コミュニケーションの規範化 |
6 | エビデンス主義の背景にある言葉の価値低下 ほか) |
7 | 第4章 情動の時代のポピュリズム(人間はもはや言語によって規定されていない |
8 | 直接的な情動喚起の時代 ほか) |
9 | 第5章 エビデンス主義を超えて(「炎上」したアガンベンのコロナ発言 |
10 | 右・左とは違う新たな分割線 ほか) |