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商品説明
「存在か無か」の図式のかげにとり残されてきた“非在”の居場所をまなざし、「ともにある」ために、哲学にはなにが必要で、なにが可能なのか。アウシュヴィッツ、水俣病、戦争、市民運動、教育、ケアといったフィールドを縦横に行き来しつつ、人間であることの歓びとかなしみを根源的に問う。アーレント、アガンベン、レヴィナス、石牟礼道子、鶴見俊輔らの思索の糸をたぐりよせ、「ただ生きること」の歓待を呼び覚ます倫理と哲学を織りあげる新しい試み。
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収録内容
1 | 思考のはじまりの痕跡 |
2 | 第1部 人間的なるものの在り処―“非在”の思想的水脈(コモン・センスとしての応答的理性―アーレントにおけるパトスと人間のもろさをめぐる省察 |
3 | ただ生きること、あるいは“非在”の歓待―アガンベンにおける「剥き出しの生」をめぐる批判 |
4 | ホショウ科学時代におけるパテイ・マトス―アガンベンにおける経験と思想と“非の潜勢力” |
5 | 審問されるコナトゥス、エティカの行方―レヴィナスとアガンベンのスピノザ) |
6 | 第2部 “かなしみの知”と“知のかなしみ”のほとりから―弱さとともに生きること(“非在”のエティカの生起する場所―石牟礼道子とパトスの記憶誌 |
7 | 悲しみの器と煩悩のケア―近づくことの不可能性と遠ざかることの不可能性について |
8 | “ひずみの底の未来イメージ”、あるいは弱さの倫理―鶴見俊輔のプラグマティズムと科学技術の政治性 |
9 | 「方法としてのアナキズム」考―鶴見俊輔におけるユートピアとしての漫画的精神 |
10 | “知のひと”から“受苦するひと”へ―石牟礼道子と鶴見俊輔の出遭いから) |
11 | “非在”のエティカ―ただ生きることの歓待のために |