そもそも「モキュメンタリー」とは何か?

「Mock(擬似・模造)」と「Documentary(ドキュメンタリー)」を組みわせた造語、ドキュメンタリー(事実の記録)の形式をとったフィクション。それが「モキュメンタリー(フェイクドキュメンタリー)」だ。「インタビュー映像」「不自然な間取り図」「ネット掲示板の書き込み」といった客観的な資料を積み重ねることで、観客に「これ、本当に作り話なのか?」というザワザワとした違和感を抱かせるジャンルを指す。

なぜ、私たちはこのジャンルに惹かれるのか。それは、明確な「答え」や「派手な見せ場」をあえて排除した、徹底的に地味なリアリティの中にこそ、人間の本能的な恐怖を揺さぶる仕組みがあるからだ。書籍、映像、Webの境界が曖昧になった現代だからこそ読みたい、このジャンルの本質を紐解く5つの作品を紹介する。

注目すべきモキュメンタリー作品

①『変な家』/『変な絵』(著・原作:雨穴)

一見どこにでもある普通の「間取り図」や、一人の女性が遺した「奇妙な絵」。そこから始まる執拗な違和感の掘り下げこそが、現代モキュメンタリーの商業的頂点に立つ雨穴の世界観だ。オカルト知見を持つ建築デザイナーらとの極めて日常的な会話、提示される客観的なデータをもとに謎を解き明かしていくプロセスは、観客に実在する未解決事件を追っているかのような生々しい錯覚を抱かせる。

『変な家』は2024年に実写映画化(東宝配給、石川淳一監督、間宮祥太朗・佐藤二朗主演。2024年3月15日(金)公開)され社会現象となったが、この劇場版の構造もまた、モキュメンタリーの定義を考える上で非常に興味深いサンプルである。
映画の前半は、間取り図の謎を検証していく純度の高いモキュメンタリーとして機能するが、後半は劇的な恐怖やサスペンス、アクションを伴う「Jホラーエンターテインメント」へと大きく舵を切る。
この演出の変化は、純粋なリアリティを求めた層と、映画的カタルシスを求めた層の間で大きな議論を呼んだ。つまりは、賛否両論。

商業的な大作映画という枠組みに落とし込むことの難しさと、だからこそWebや書籍というメディアで輝く「原点の不気味さ」の価値が、劇場版という対比によってより鮮明に浮かび上がる。
原作小説、コミカライズ、劇場版。
それぞれのメディアがモキュメンタリーをどう解釈したか、その境界線を確かめてみてほしい。

②『近畿地方のある場所について』(著:背筋)

インターネット連載から火が付き、オカルト界を震撼させたモキュメンタリー小説だ。著者の知人である編集者が失踪した原因を探るため、過去の雑誌記事、近畿地方のわらべ歌、ネット掲示板の書き込み、読者の体験談など、一見無関係な「バラバラの資料」を読者自身が読み解いていく形式を取る。
本作が提示する恐怖の本質は、一般的なホラーのような直接的なものではない。無機質なテキストの点と点が脳内で繋がった瞬間、巨大な呪いの形が浮かび上がるという「能動的な恐怖」だ。

2025年には実写映画化(ワーナー・ブラザース配給、白石晃士監督、菅野美穂・赤楚衛二主演。2025年8月8日(金)公開)も果たしたが、この映像化は「モキュメンタリーというジャンルの境界線」を浮き彫りにする絶好の例となった。映像化によって生々しいビジュアルとダイナミックなサスペンス性が付与された一方で、観客の評価は大きく分かれた。
言葉を飾らず――批判を恐れずに言うなら、前半は良かったのに、後半は「これじゃない感」で大荒れ。
『変な家』でもそうだったが、賛否両論。喧々諤々。侃々諤々。

つまり、それこそがモキュメンタリーの繊細さを示している。つまり、このジャンルは「作り手による客観的な映像(答え)」を見せられるよりも、紙などの資料をめくり「自らの脳内でリアリティを完成させる」方が、時に圧倒的な恐怖と説得力を生むということだ。映画という別のアプローチが存在するからこそ、この原作小説が持つ「読者を当事者に引きずり込む活字モキュメンタリー」としての純度の高さと、ジャンルとしての本質がより鮮明に理解できる。

③『ダクダデイラ』(著:餅屋蛾)

カクヨム連載時からオカルトファンの間で異様な注目を集め、発売前重版も決定したモキュメンタリーホラーの最前線を示す一冊だ。過去十数年にわたり作者が収集してきたという「ネット上の怪文書」をそのまままとめた体裁を取る。インターネットの奥深く、あるいは旧2ちゃんねる(現5ちゃんねる)をはじめとしたコミュニティに遺された、悪意とほのめかしに満ちた不可解なログが並ぶ。ただ、その都合上、縦書きになったり横書きになったりする(仕方ないのだが)ので読むときに、そのページの先頭がどこなのか、たまに混乱することがある。それも味と言えば味か(笑)。

本作が提供する欺瞞(ギミック)の本質は、「完成されたストーリーとしてのホラー小説」を読むことではなく、「現実のネット空間から流出してきた、触れてはいけないテキストそのものを目撃している」という生々しい感覚にある。
収録作の中には、読者に圧倒的な嫌悪感と精神的ダメージを与える凄惨なエピソードも含まれており、その容赦のない切れ味が話題を呼んでいる。既存のホラーの文脈を逆手に取り、ネット特有の不穏な「怪文書」というメディアそのものを怪異の依代とした、まさに今読むべき怪作と言えよう。
――色々なソーシャルメディアがあるんだな、というのが知れるのも地味に面白い(SNSの名称自体は実際のものだったりする)。あと、漢字難し過ぎる(笑)。

④『放送禁止』シリーズ(監督:長江俊和)

「ある事情で放送されず、フジテレビの倉庫にお蔵入りになっていたVTRを再編集して公開する」という設定で、日本のフェイクドキュメンタリーの基礎を築いた伝説的映像シリーズだ。扱うテーマは「大家族の密着」「隣人トラブル」など、深夜のテレビ番組でよく見る生々しいドキュメンタリーそのものである。しかし、画面の隅々を注視しなければ、この作品の本質には辿り着けない。

物語は何の変哲もない日常や美談として進むが、背景に映り込む不審な影、登場人物の不自然な発言、部屋に貼られた不穏な貼り紙といった「視覚的・聴覚的ノイズ」が異常な密度で仕込まれている。劇中ではそれらに対する明確な解説は一切なされない。観客自身が映像の違和感を繋ぎ合わせ、ラスト1秒で「本当に起きていた恐ろしい事態」に気づいた瞬間、背筋に冷水が走る。思考停止での視聴を許さない能動的映像鑑賞の最高峰であり、何度も巻き戻して確認したくなるパッケージ版(DVD)必須の傑作・・・なのだが、弊社では販売終了や廃盤状態なのでどうにもできないのがもどかしい。
2026年3月13日公開の劇場作品「放送禁止 ぼくの3人の妻」がパッケージ化されるのを待つという楽しみもあると言えばあるが・・・。あるいは、既発売のパッケージがBlu-ray化されるのを待つ・・・いや、そもそもされるのか?

⑤『戦慄怪奇ファイル コワすぎ!』シリーズ(監督:白石晃士)

日本のホラー界にPOV(主観映像)モキュメンタリーの金字塔を打ち立てた大ヒット映像シリーズ。「口裂け女」や「カッパ」といった、誰もが知る都市伝説の真相を確かめるべく、映像制作会社の超過激なディレクター・工藤をはじめとする取材班が現場に突撃する。一見、B級の心霊バラエティに見えるチープな幕開けだが、物語が進むにつれて世界観は一変する。

ハンディカメラが捉えるノイズ、手ブレ、精度をあえて落とした映像が現実を侵食していく生々しさは、フェイクドキュメンタリーとしてのクオリティを極限まで高めている。さらに本作の凄みは、恐怖だけに留まらず、怪異に対して物理的な突撃を試みるという、狂気的なエンタメ性へとドライブしていく点にある。謎が謎を呼び、過去の事件や異界の存在が複雑に絡み合う緻密なタイムラインは、一度ハマると全話を一気見せざるを得ない引力を持つ。コメディに逃げないガチの怪異サバイバルとして、映像ジャンルにおける固有の進化を遂げた記念碑的作品だ。

コラム:モキュメンタリーの技法がもたらす新しいホラー

『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』(監督:近藤亮太)

2024年にテレビ東京で放送され、SNSを大パニックに陥れた深夜番組『イシナガキクエを探しています』。その演出・監督を務め、現代モキュメンタリー界の最注目クリエイターとなった近藤亮太監督が放つ最新の劇場公開作品(東宝配給、杉田雷麟主演。2025年1月24日(金)公開)だ。

「モキュメンタリー」として取り上げるべきか悩むラインなのではあるが、本質的な部分で重なる部分があるので取り上げてみた。
本作は全編がフェイクドキュメンタリー形式で進むわけではなく、失踪した弟の謎を追う主人公たちの姿を描く「劇映画(ドラマ)」のフォーマットをとっている。しかし、物語の核となるのは、1本のおぞましい「VHSホームビデオ」だ。そこに映る、粗い画質と、意図せず記録されてしまった“映ってはいけないもの”の生々しさは、まさにモキュメンタリーの技法を極めた監督だからこそ生み出せるものである。

ジャンプスケア(大音量やビジュアルで急に驚かせる手法)を徹底的に排除し、画面の奥に潜む「何かおかしい」という違和感だけで観客の精神を追い詰めていく演出は、モキュメンタリーの本質である「静かなリアリティ」そのものだ。ジャンルの枠を超え、そのエッセンスを極上のJホラーへと昇華させた、今もっとも観るべき一本と言えよう。

編集後記

最初は「よくできた嘘」として、フィクションの枠内で楽しんでいるはずが、読み終え、観終えたあと、ふと自分の部屋の壁や、いつも通る道に「同じ違和感」を探していることに気づく。

最近はAIの進化により、個人で視聴に耐えうるモキュメンタリー動画作品が比較的手軽に(あくまでも比較的。実際にある程度のレベルのものを作るには相応の学習がいる)作れるようになり、こういった作品も数多く観られるようになった。AI声優による発話の違和感があったりもするが、それよりもストーリーの力で引き込まれるパターンも多い。個人的にも続きが気になる作品がいくつもあるくらいだ(笑)。
また、俳優・神木隆之介氏を題材にした「TXQ FICTION」シリーズ(テレビ東京の番組枠)の第5弾として放送された、その名もずばり「TXQ FICTION『神木隆之介』」など、チャレンジ的な作品もある(2026年6月現在、YouTubeでも公開中。しかも無料!)。

そんな動画が数多く公開されている中で「商業的な映像作品」があるわけだ。「商業的な映像作品」 は「エンターテインメント」としての側面が強調される性質を持つ一方で、Webや書籍、あるいは深夜のフェイク番組といった「閉じた空間」でこそ真価を発揮する地味なリアリティをより強く求められる。更に言えば、安くない金額を支払ってわざわざ観に行くわけでハードルも高めになる。
その両面を体験して初めて、モキュメンタリーというジャンルの本当の輪郭が見えてくる。日常のすぐ裏側にある違和感を、これらの作品から体験してみてほしい。