今宵の出席者

チャーリー チャーリー:60代。昔は夏が好きでした。ところが今じゃ街を歩くのも命がけ。それでも夏が好きと言いたい元サーファー。

東風平 東風平:40代。焼鳥の話でもあるまいに「ナツ」と「ハツ」を聞き間違い、前日にCARCASSやCATTLE DECAPITATIONのレコードを持って来た慌てん坊将軍。夏バテ気味。

オーヌキ:今宵の司会・進行役。30代。夏がくれば思い出す、bloodthirsty butchersの「7月」とeastern youthの「夏の日の午後」。極東の夏は叙情的。

「ベイエリアな夏」と「デトロイトな夏」

――今回のお題は「○○な夏」。というわけで、お2人にはいつものとおり5枚ずつレコードをお持ちいただきましたが、ありきたりなセレクションになってしまってもつまらないので、今回はあえて1つ条件を設けさせていただきました。「サザンオールスターズTUBEエルヴィス・プレスリーBEACH BOYSなどの“定番もの”は禁止」です。

東風平 東風平:そもそも「○○な夏」というお題からして苦手なところだからね、おいらにはあんまり関係なかったけど、稲川淳二さん言うところの「ギンギンの波乗り」やってたチャーリーさんには意外に厳しい条件だったんじゃないかな。実際、どうです?

チャーリー チャーリー:大丈夫、大丈夫。さっそくだけど、これ見たことある?

――どこか『風と共に去りぬ』を思わせるというか・・・爽やかなジャケットですね。

チャーリー チャーリー:うん、言いたいことはわかるよ。(笑) 俺の1枚目はこれ、IT'S A BEAUTIFUL DAYの同名の1stアルバムで、夏曲は「Hot Summer Day」。



IT'S A BEAUTIFUL DAYは、ヴァイオリンとヴォーカルを担当するデイヴィッド・ラフラムを中心に1967年に結成されたサンフランシスコのバンドで、彼の他に、女性ヴォーカル、鍵盤、ギター、ベース、ドラムがいる6人編成。ちなみに鍵盤を弾いてるのはリンダ・ラフラムという女性で、デイヴィッドの奥さん。

60年代末から70年代頭にかけて活動していた、いわゆるベイエリア・シーンの一翼を担ってたバンドだからさ、当然ながら地元のライヴハウス『Fillmore West』にもしょちゅう出てた。JEFFERSON AIRPLANEとか、GREATFUL DEADとか、SANTANAとか、ジャニス・ジョプリンがいたBIG BROTHER & THE HOLDING COMPANYとか、そのへんの人達とはよく一緒にライヴやってたらしい。だから後に音源化/映像化された『フィルモア:最後の日』にももちろん入ってる。

――すみません、初耳だったのですが、ベイエリア・シーンというのは・・・?

チャーリー チャーリー:サンフランシスコ湾岸のロック・シーンのことだよ。ヒッピー・カルチャーとかフラワー・ムーヴメントとか、そういうのも含めてね。音楽的に言うとわかりやすいのはサイケデリック・ロックだけど・・・例えばこの「Hot Summer Day」は、作曲もアレンジもわりときっちりされているけど、彼らはフリー・フォームな楽曲も結構やってるんだ。たぶんスタジオで「せ~の!」で始めたんだろう、というような。

東風平 東風平:・・・にしてもこの曲、翳った雰囲気が特徴的であまり西海岸っぽくない感じもしますね。なかなか叙情的で。

チャーリー チャーリー:それはおそらく、ここで言う“summer”が現実の“夏”のことではなく、精神的な意味での“summer”だからじゃないかな。当時「Summer Of Love」という言葉があったけど、それに近い“自由”とか“解放”とか“平和”とか、そういう意味合いでの“summer”だからだと思うよ。

――なるほど。だからこそ“いかにも夏!”というのとは違う哀愁のある曲調なんですね。

チャーリー チャーリー:うん、これはまあ個人的な解釈だけどね。・・・そうそう、ついでにこの曲も聴いてもらいたいんだけど・・・はいどうぞ、「Child In Time」。(笑)

東風平 東風平:ありゃ? テンポが遅い。

チャーリー チャーリー:「Bombay Calling」という曲なんだけど・・・・DEEP PURPLEのカヴァーじゃないからね。こっちの方が先だから。パクった方が有名だけど。(笑)

東風平 東風平:おお、これが元ネタだったんですね! 知りませんでした。(笑)

チャーリー チャーリー:『It's A Beautiful Day』は1969年発表、DEEP PURPLEの『In Rock』は1970年発表だからね。

――いやはや、これは驚きましたね。さすがに途中から展開は違ってきますが、イントロはまるっきりそのまんまじゃないですか。ビックリですよ。はてさて、対する東風平さんの「○○な夏」はいかがでしょうか?

東風平 東風平:改めて言っておきますが、夏、苦手っす。なので今回はレコード選びもかなり難儀しまして、あの、その・・・

チャーリー チャーリー:ん? ライヴかな?

東風平 東風平:そうです。僕の1枚目はこちら、KISSの『Alive!』です。



――ほうほう、これは意外なセレクションですね。なぜに『Alive!』を俎上に?

東風平 東風平:“夏”と言えばだいたい「猛暑」「女の子」「パーティ」と相場が決まっていますよね・・・ね? このレコードにはそれらがすべて入っているんですよ。

まず、“地獄をもしのぐほどの猛暑”ということで「Hotter Than Hell」。それから、あの長嶋茂雄さんが女の子をナンパする時に言い放ったという殺し文句「Hey, she!」にちなんで「She」。あとこの季節、夜中に突然耳をつんざくロケット花火のキュイイイイイン・・・パンッ!って音は風物詩ですよね。(笑) おそらく近所の公園でオールナイトのパーティでもやっているんでしょう。つまり「Rock And Roll All Nite」と。

――・・・うん、全部コジツケですね。

東風平 東風平:まあまあ、まだ1枚目だし、この名盤に免じて堪えてちょうだいな。

ご存知のとおり、この『Alive!』はKISSの人気を決定付けた1975年発表のライヴ・アルバムで、アメリカだけで50万枚以上を売り上げています。つまりこのレコードが彼らにスターダムへとのしあがる最初のきっかけを与えたわけですが、ここで見逃せないのがデトロイトでの熱狂的な盛り上がりです。

そもそもKISSの人気はデトロイトから火がつきました。だから“ライヴ・アルバムを作ろう”という話が持ち上がった時に、デトロイトは真っ先にレコーディングの候補地になった。このレコードには他にもクリーブランドやダベンポートなどいくつかの公演の模様が収められていますが、裏ジャケがデトロイトの『Cobo Arena』で撮られた写真になっているのはそのためでもあるんですよ。

ちなみに、翌年発表された『Destroyer』の1曲目が「Detroit Rock City」なのも、そういう背景があってのことなんです。

チャーリー チャーリー:なるほど、そういう経緯があったんだね。実は俺、高校生の頃、バンドでKISSもやってたんだ。2001年のフェアウェル・ツアーも観に行ったんだよ。

――それは意外ですね。プログレ派のチャーリーさんがKISSをやってたなんて。

東風平 東風平:うん、確かに意外だけど、KISSの曲って盛り上がりますもんね。

「行き過ぎてしまった夏」と「海の子供達の夏」

――それでは、実は高校生の頃、エース・フレーリーだったというチャーリーさん、2枚目のプレゼンをお願いします。

チャーリー チャーリー:次はTHE DOORSです。といっても、このアルバムはあまり馴染みがないんじゃないかな。やっぱり1stアルバムが強力だから。でも、これも全米NO.1になったんだよ。1曲目の「Hello, I Love You」が大ヒットしたからね。というわけで俺の2枚目は、THE DOORSの3rdアルバム『Waiting For The Sun』。この中から“夏が行っちゃったよ”という曲「Summer's Almost Gone」を選びました。



――僕の知っているTHE DOORSとはちょっと印象が異なるというか・・・

チャーリー チャーリー:そうかもしれないね。THE DOORSって、攻撃的なところもあるし歌詞がやばかったりするところもあるけど、こういうポップなところがあるのも良いんだよね。わかりやすいところもある。

東風平 東風平:THE DOORSって、根っこはブルースですもんね。

チャーリー チャーリー:そう、ブルース・バンドなんだよね、基本。

東風平 東風平:だから暗いところがあるのは当然だし、ジム・モリソンの歌い方もかなりブルージーだったりする。

チャーリー チャーリー:今だったらおよそロック・ヴォーカリストとは言えないような歌い方かもしれないね。もちろんシャウトもするんだけど、大抵は低い声だし・・・彼はやっぱり演劇指向なんだと思う。

ロビー・クリーガーも変わったギターを弾く人なんだよね。たぶんピックを使わず、全部指弾きしてる。だからカッティングとかはあまり出て来なくて、歌やオルガン・ソロのバックでもなにかしらフレーズを弾いたり、アルペジオをやったりしてる。そこがおもしろいんだ。もともとスパニッシュ・ギターをやってた人らしいしね。

東風平 東風平:なるほど、だから指弾きの方が馴染みが良いんですね。

チャーリー チャーリー:うん、それにフレーズもちょっと変わってる。

東風平 東風平:そもそも使っているスケール(音階)がロックの定番ではない、と。

チャーリー チャーリー:そうそう。それからたぶん、この曲の“summer”もさっき言ったのと同じで、いわゆる季節の“夏”のことを言ってるんじゃないと思う。「あの輝いていた夏はどこへ行ってしまったんだろう」みたいなことを歌ってるんだけど、それはつまり、ムーヴメントが終わりに向かって行っているということなんじゃないかな。

これは後から知ったことなんだけど、この前の2枚のアルバム、1stと2ndの収録曲って、デビュー前からストックとして持っていたものなんだって。だからスタジオで一から曲を作り始めたのはこのアルバムが最初だったらしい。・・・といっても、「Hello, I Love You」はもとからあった曲なんだけどさ。

ただ、そういうことを考えると「Summer's Almost Gone」も単純に“夏”のことを歌ってるのかもしれないと思いつつも、やっぱり「THE DOORSがやってるんだから何かあるんじゃないか?」と考えてしまうんだよね。

東風平 東風平:わかります。THE DOORSの楽曲って、どことなく文学性が強いというか・・・そもそもジム・モリソンってどこまで地だったのかわからないところがありますよね。どこか演技っぽいところがあって、破天荒なロック・シンガーというパブリック・イメージを壊さないよう意識して振舞っていたんじゃないかという気もする。

チャーリー チャーリー:そうだね。ジム・モリソンを演じていたという感じはある。でも、久しぶりに聴いてみたけど、ジム・モリソンの声ってやっぱりカッコいいんだよね。

その昔に雑誌か何かで読んだんだけど、ある時、ジム・モリソンとジャニス・ジョプリンがバーで並んで飲んでたんだって。で、酔っ払ったジム・モリソンが、サザンカンフォートっていうお酒の瓶でジャニスの頭を殴ったらしいんだけど、それから俺もサザンカンフォートを飲むようになったもん。「お~、この瓶で殴ったのか~」とか言って。(笑)

――60年代のアメリカを代表するロック・アイコン2人が並んで飲んでいたというだけでもレアですが、ケンカまでしていたなんて凄い話ですね。(笑) それでは続いて、東風平さんの夏曲はいかがでしょう?

東風平 東風平:え~、“夏”と言えば「海」と相場が決まっていますよね・・・ね? というわけで僕の2枚目は、「海の子供達」こと「Children Of The Sea」が収録されているBLACK SABBATHの9枚目のオリジナル・アルバム『Heaven And Hell』です。



――・・・またもやコジツケ!

東風平 東風平:まあまあ、落ち着いて落ち着いて。チャーリーさんの真似するわけじゃないけど、ここで言う「海の子供達」って、海水浴場でキャッキャ騒いでいる小学生とかのことではなくて、「母なる海から生まれた子供達」、つまり「地球上のすべての生物達」ということらしいんだ、どうやら。このまま環境破壊が進むと“海の子供達”は絶滅してしまうぞ、と警鐘を鳴らしている。どう? 驚いた? 結構アカデミックな話でしょ?

――ええ、その点は認めざるをえません。ただ、今の話でテーマの“夏”からはさらに遠ざかってしまいましたけどね。

東風平 東風平:まあまあまあ、落ち着いて落ち着いて・・・。

――“夏”と言えば「フェス」、「フェス」と言えば「Ozzfest」くらい言ってもらえれば、もっとすんなり話を聞けたのですが。

東風平 東風平:おっ、すごい! それそれ、それです。「Ozzfest」ってことでBLACK SABBATHを持ってきました・・・って、この頃には既にオジー・オズボーンは辞めていて・・・あれ? ダメじゃん。しょうがないので開き直りますが、このレコードはオジーの後任シンガーとしてロニー・ジェイムズ・ディオを迎えた新体制BLACK SABBATHの第1弾で、1980年にリリースされました。

チャーリー チャーリー:このジャケ見るの久しぶりだよ。不良だな~。(笑)

東風平 東風平:でも、すごくカッコいいですよね。70年代にものすごい人気を獲得したBLACK SABBATHが、カリスマ的な魅力を備えていたオジーをついにクビにして迎えたのが、この少し前までRAINBOWで歌っていたロニーだった。ファンはもちろん、バンドもロニー自身もこの交代劇がうまくいくのかどうかかなり不安だったようですが、ふたを開けてみれば大正解、BLACK SABBATHは新たな個性を確立するに至ったんです。

前任のオジーとはまったく正反対と言っていい、力強い声で流れるようなメロディをきちんと歌いこなせる実力派のロニーが加わったことで、BLACK SABBATHはこの後、いわゆる様式美な方向へと進んでいくことになるわけですが、その原点と言えるのがこの曲、新体制で初めて作った曲と言われているこの「Children Of The Sea」なんです。

チャーリー チャーリー:わかるわかる。ハード・ロックとしてすごく正しい感じがする。

東風平 東風平:ええ、プロデューサーもRAINBOWを手掛けていたマーティン・バーチですからね。言うまでもなくオジー時代のレコードも大好きですが、ロニー時代もこういう違った魅力があって大好きです。

「真実の愛を探す夏」と「ぬかるみに足を取られる夏」

――なんとかきれいに話がまとまりましたね。では、3枚目と参りましょう。チャーリーさん、次のレコードをお願いします。

チャーリー チャーリー:はい、ここで東風平君のBLACK SABBATHに対抗して・・・というわけじゃないけど、URIAH HEEPを持って来ました。しかもダサダサなジャケのベスト・アルバム! ダサ~。(笑) そもそも言っちゃうと『Look At Yourself』を持って来いよって話なんだけどさ。(笑)



――このメンバー写真がまた、モノクロの宣材を雑に切り抜いて強引に貼り付けたような具合で・・・『ガキの使いやあらへんで!!』のDVDみたいなジャケですね。(笑)

東風平 東風平:うまい!(笑) 長髪が途中でバッサリ切れちゃってるし。(笑)

チャーリー チャーリー:(笑) でも、これもう手に入らないからね。日本企画盤だから日本でしか売られてなかったし、この頃にしか作られてなかった。当然CD化もされてないから、ある意味、超レア盤なんだよ。(笑)

東風平 東風平:真面目な話、つまり当時の日本では、URIAH HEEPはそれほど人気があったということですもんね。

チャーリー チャーリー:そういうこと。で、この中から「July Morning」をピックアップします。改めて聴くと、URIAH HEEPって、ものすごいギター・ソロとかハモンド・オルガンのソロとか、そういうのは入ってないんだよね。わりときっちりアレンジされてるというか、決まったフレーズを弾いてるというか、そういうプレイが多い。スター・プレイヤーがいなかったせいもあるのかもしれないけど。DEEP PURPLEリッチー・ブラックモアとか、そういう感じの人がさ。

東風平 東風平:ケン・ヘンズレーはあまり人気がなかったんですか?

チャーリー チャーリー:楽曲はほとんど彼が書いていたから、もちろんそれなりに人気はあったよ。でもまあ、彼もバンド全体のサウンドに合った感じのプレイをする人だったからね。・・・こうして改めて聴いてて思ったんだけど、この曲って意外とポジティヴな内容なんだよ。「7月のある朝、目が覚めて、真実の愛を探しに旅に出る」みたいなさ。

――曲調はかなり哀愁を感じさせるものですね。英国風と言うべきなのでしょうが、こういうメロディは日本人の琴線にも触れるものだと思います。だからこそ日本でもすごく人気があったんでしょう。・・・さて、それでは場もしっとりといい感じに落ち着いたところで、東風平さん、お願いします。

東風平 東風平:そう言われると出し辛いなあ・・・次はたぶん、お2人にとっては試練の時間になると思いますよ。

――それってどういう・・・ああ、なるほど、これはだいぶ重いですね。ギターもかなりノイジーだし。(苦笑)

東風平 東風平:ええ、僕の3枚目はこちら、16の『Blaze Of Incompetence』です。



ざっくり基本データを紹介しておくと、この16はロサンゼルス出身のスラッジ・メタル・バンドで、これは1997年発表の3rdアルバム。今かかっているのは「Asian Heat」という曲なのですが・・・どうです? 湿度が高くてねっとり汗が滲み出してくるような、あまりの熱気に呼吸が浅くなってしまうような、アジアの猛暑っぽい感じがしません?

――言われてみれば、まあ・・・そういう感じもしないではないですね。

東風平 東風平:でしょ? 彼らのやっているような重くて激しくてねっとりとしたスタイルは、その筋ではスラッジ・メタルと呼ばれているんだ。スラッジとは“ぬかるみ”のことなんだけど、まるで泥の沼に足を取られてズブズブと沈んでいくみたいな音だよね。

ただ、彼らはスラッジ勢の中でもなかなかユニークな存在で、当時からメタルやハードコアだけでなくオルタナティヴ・ロックの影響もかなり取り入れていた。例えば、HELMETとかUNSANEとかJESUS LIZARDとか、レーベルで言うと『Amphetamine Reptile』とか『Touch And Go』あたり。だからそっち方面から来たファンも結構多いんだ。

――なるほど。MELVINSっぽいところがあるのも、つまりそういうわけなんですね。

東風平 東風平:おっ、いい質問だね~。(笑) まさにそういうことだよ。

――質問したつもりはないですけどね。(笑) でもまあ、納得です。

「'68年の夏」と「“秒殺”な夏」

――それでは続いて4枚目、チャーリーさん、次のレコードをお願いします。

チャーリー チャーリー:はいはい。いいですか? 次は超大物ですよ。PINK FLOYDの『Atom Heart Mother』です!



――さすがにこれは、僕でも知ってます。

東風平 東風平:これを知らないって言ったら説教だよ、説教。(笑)

チャーリー チャーリー:正座でね。(笑) というわけでA面はよく知られてると思うけど、B面はわりと静かな小作品集というか、ロジャー・ウォーターズリック・ライトデイヴ・ギルモアの3人がそれぞれ作った曲が入ってる。そんな中から夏曲はこれ、リック・ライト作の「Summer '68」。

ここで歌われてるのは「グルーピーの女の子と一晩過ごして、朝が来て、なんだか空しい日々だなと感じていて」みたいなことなんだけど、当時のPINK FLOYDといったら、それなりに人気も出てツアーもどんどん忙しくなり、という日々を送っていたはずだからさ。実際にそう感じていたんじゃないかな。

ただ、不思議なことに、リック・ライトってあまり目立たないんだよね。プログレ・バンドの中ではキーボードって花形のポジションなんだけど、彼はシンセだメロトロンだといろいろやってるわりには、バリバリのソロを弾いたりもしないし・・・。

東風平 東風平:でも、PINK FLOYDの音楽性を考えると、キーボード奏者の役割って、ものすごく重要なはずですよね?

チャーリー チャーリー:そう、彼がいないとPINK FLOYDにはならない。誰だったか「リック・ライトはPINK FLOYDのジョージ・ハリスンだ」と言ってた人がいたけど、本当にそうだと思う。目立たないけど良い曲を書くし、いないと困るんだよ。

――まさに言いえて妙、ですね。

東風平 東風平:確かに。レノンマッカートニーの影に隠れがちだけど、というかギルモア&ウォーターズの影に隠れがちだけど、彼がいないとバンドが成立しない。

チャーリー チャーリー:彼は『The Dark Side Of The Moon』でも「The Great Gig In The Sky」とか「Us And Them」なんかを作ってたけど、なるほどって感じだよね。彼のソロ・アルバム『Wet Dream』にしたってそう。あそこにPINK FLOYDのメンバーは誰も参加してないんだけど、それでもやっぱりPINK FLOYDみたいに聴こえてたからね。つまりそれほど重要な人なんだよ。

でも、そのソロ・アルバムが出た1978年頃って、そろそろPINK FLOYDをクビになりかけてたあたりなんだよね。だからウォーターズにとってはもはや要らないメンバーだったのかもしれないけど、ファンとしては「いやいや、要るでしょうよ!」と。(苦笑)

――そういうことって、ままありますよね。いわゆる“大人の事情”なども実はあるのかもしれませんが。(苦笑) さておき東風平さん、この大名盤に何をぶつけますか?

東風平 東風平:またもや出し辛い雰囲気ですが・・・試練の時間パート2です。(笑) 心と耳の準備は大丈夫ですか? はい、次はこちら、AGORAPHOBIC NOSEBLEEDとCATTLEPRESSのスプリットLPです。



――・・・まさか、これをBGMにしながら語るつもりじゃないでしょうね?

東風平 東風平:うん。ダメかい? それじゃあ、ちょっとボリュームを下げてっと・・・とりあえずCATTLEPRESSはCATTLEPRESSでいろいろと語れることがあるんだけど、今回は置いといて、さっそくAGORAPHOBIC NOSEBLEEDの話に入りますね。

このAGORAPHOBIC NOSEBLEEDは、アメリカはマサチューセッツ州出身のグラインドコア・バンドで、かつてA.C.に在籍していたスコット・ハルを中心に結成されました。

――出た、A.C.!(笑)

東風平 東風平:しっ、声がデカい!(笑) ともあれ、そうした経歴からもわかるとおり、このスコット・ハルという人はなかなかのツワモノで、このバンド・・・といっても当初はジェイ・ランドールというシンガーと2人だけでやっていたんですが、彼らはまずドラム・マシンを非常識なやり方で使うことを思い付きます。すなわち、人間のドラマーでは絶対に叩けないほどbpmを上げるというアイディアです。これが画期的だった!

チャーリー チャーリー:彼らも最初は人間のドラマーと一緒にやりたかったのかな?

東風平 東風平:いや、最初からドラム・マシンを使うつもりだったんじゃないかと思いますね。グラインドコアにはそもそもからノイズ・ミュージックとかインダストリアルとかの影響がかなり入っていましたし、スピードの限界を突破するというのが1つの命題みたいなところもありましたから。

だから発想としてはすぐ近くにあったんだけれども、それを本格的に取り入れてしっかりとした形にしてみせた点で、彼らは斬新だった。AGORAPHOBIC NOSEBLEEDが当時のアンダーグラウンド・シーンに与えたインパクトって、ものすごく大きかったんですよ。

――なるほど。それはそれで納得なのですが、そもそもなぜこのレコードを出されたのですか? テーマは「○○な夏」ですよ?

東風平 東風平:おっと、肝心なことを忘れてました。それはですね、ここに「What I Did On My Summer Vacation」という曲が入っているからで・・・といっても、もうとっくに終わっちゃってますが。(笑) なにしろ曲が異様に短いからさ。長くても1分半とか。(笑) だからCATTLEPRESSは6曲入りだけど、AGORAPHOBIC NOSEBLEEDの面には18曲も入ってる。(笑)

――まさに“秒殺”なんですね。(笑)

「あの人の若かりし頃の夏」と「この人の若かりし頃の夏」

――さて、それではいよいよ大詰め、最終戦と参りましょうか。チャーリーさん、トリを飾る5枚目のレコードをお願いします。

チャーリー チャーリー:はい、ラストは巨匠、大瀧詠一さんです。大瀧さんの作品で“夏”といったら普通は『A Long Vacation』なんだけど、今日はあえてこれ、『大瀧詠一』を持ってきました。大瀧さん、若いです。(笑) で、ここからの夏曲は「あつさのせい」。この「♪あっ、つさのせい」という歌の符割がおもしろいんだよね。(笑)



このアルバムは大瀧さんがまだはっぴいえんどをやってる時に作られたんだけど、本当はこの後に、細野晴臣さんと鈴木茂さんのソロも作られるはずだったんだ。だけどその前に、はっぴいえんどは解散してしまった。

東風平 東風平:KISSのソロ・アルバムみたいな感じですかね。バンドをやりながら各メンバーのソロも出すというのは。

チャーリー チャーリー:そうそう。そもそも大瀧さんがソロ・アルバムを作ることになったきっかけというのが・・・全部説明すると長くなっちゃうから端折るけど、要は暇になっちゃったんだよね。

ちょうど『風街ろまん』を録音してた時なんだけど、細野さんの曲には大瀧さんのパートがまったく入ってなかったから、大瀧さんは暇になっちゃった。で、スタジオでぶらぶらしてる時に、プロデューサーの三浦光輝さんに「ソロ作んない?」って言われたらしい。(笑) 実際はもうちょっと複雑な話がいろいろあるんだけど、とにかくまあそんな感じでこのアルバムは作られたんだ。

・・・この「♪つさのせ~い」ってコーラスがまたいいんだよね。このコーラスをやってるのはシンガーズ・スリーっていうグループで、どっちかと言うと歌謡界を中心に活動してるお姉さん達なんだけど、当時は引っ張りだこでさ。『11PM』とか『ルパン三世』のスキャットと言えばわかるかな?

東風平 東風平:おー、そうなんですね!

チャーリー チャーリー:それからあと、この時のメンツというのが、細野さん、鈴木さん、林立夫さん、松任谷正隆さんという4人なんだけど、これが数年後にキャラメル・ママになるんだ。偶然だったらしいけどね。

――そう運命に導かれたんでしょうね。ちなみに、大瀧さんの音楽的なルーツというと、どのあたりになるんでしょうか? さきほどから聴いていて、サウンドにすごく洗練されたところと懐かしいところが同居しているような気がしていて・・・

チャーリー チャーリー:やっぱり50年代のアメリカン・ポップスだろうね。それからソウル・ミュージックも。といっても、大瀧さんはラジオ少年で、とにかくいろんな音楽を聴いて育ってきたようだから、あらゆる方向を向いていたと言えるんじゃないかな。

上京して細野さん達と知り合ってからも、日曜日の午後にみんなで集まって、音楽研究会みたいなことをしてたらしいよ。細野さん宅でレコードをかけあったりしてさ。ある時、テーブルの上にたまたまYOUNGBLOODSのシングル盤を置いといたら、大瀧さんが部屋に入ってくるなり、「お、YOUNGBLOODSじゃん!」って言ったらしいんだけど、その時、細野さんは思ったんだって。「うん、こいつわかってるじゃん!」と。(笑)

――いい話ですね。(笑) さて、そろそろ東風平さんにも最後のレコードをお願いしましょうか。シメもやっぱり、試練ですか?

東風平 東風平:いえいえ、最後くらいきれいにまとめさせていただきますよ。僕の5枚目は「真夏の夜の夢」です。・・・といっても、チャーリーさんに対抗してユーミンってわけじゃないからね。(笑) 僕が選んだ「真夏の夜の夢」はこちら、SAM GOPALの「Midsummer Night's Dream」です。



このSAM GOPALは、マレーシア生まれのタブラ奏者サム・ゴーパルを中心にロンドンで結成されたサイケデリック・ロック・バンドです。60年代後半のバンドなので、当時はPINK FLOYD、SAVOY BROWNCRAZY WORLD OF ARTHUR BROWNなんかと一緒にライヴをやっていたそうです。

この『Escalator』は彼らが活動期間中にレコーディングした唯一のアルバムなのですが、ここでヴォーカル&ギターをやっているのがなんと、イアン・ウィリス・・・後のレミー・キルミスターなんです!

――おおーっ、これは驚きです!

東風平 東風平:でしょ?(笑) 結局レミーはこの1枚に参加しただけでSAM GOPALを脱退し、今度はHAWKWINDに加わります。そして数年間ベーシストとして活動した後、ついにMOTORHEADを結成することになるのですが、実はレミーはSAM GOPALに加入する前にも、ビート系のROCKIN' VICKERSというバンドでギターを弾いていました。彼がベースをギターのようにプレイするのは、そういうキャリアがあったからなんですね。

チャーリー チャーリー:あれ? この次の曲ってドノヴァンじゃない?

東風平 東風平:さすがチャーリーさん、ご名答です。「Season Of The Witch」をやっています。タブラが入っているところはさすがにユニークですが、SAM GOPALもやっぱり当時のイギリスのサイケデリック・ロックの王道に通じていたわけです。世間的にはおそらく“知る人ぞ知る”みたいな存在だと思いますが、あの時代にはとりわけそういうバンドがたくさんいましたからね。

チャーリー チャーリー:うん。でも、だからこそ本当に深掘りし甲斐があるんだよね。

――同感です。僕も最近、ようやくその奥深さに気付きました。まだまだ聴くべきバンドやアルバムがたくさんありますね。

というわけで、今回もまたいろいろと発見がありました。近々【第五夜】を開催したいと思いますので、ネタ探しはしておいてくださいね。それではまた次回お会いしましょう。サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ!


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