そもそも『メタル・ジャスティス』ってどんな作品なの?
『メタル・ジャスティス』は、アメリカ西海岸サンフランシスコを拠点とするスラッシュ・メタル・バンド、メタリカの通算4作目となるオリジナル・アルバム。本国では1988年8月25日にリリースされ、9週間後にはプラチナム・ディスクに認定、その後もしぶとく売れ続け、現在までに累計で800万枚以上ものセールスを記録しています。ちなみにビルボードのアルバム・チャートでは初めてトップ10圏内に食い込み、総合6位にランクイン。それまでの自己最高29位から大きくジャンプアップする快挙となりました。
メタリカ 関連アイテム
はたしてそれほどの賞賛と成功を集めた『メタル・ジャスティス』ですが、実のところその制作プロセスは、とても一筋縄ではいかないものでした。というのも、本作はメタリカにとって、いろいろな意味で初めて尽くしのアルバムでもあったからです。なかでも彼らを最も悩ませていたのが、クリフ・バートン(ベース)の不在でした。
バンドの創設者であるジェイムズ・ヘットフィールド(ヴォーカル/ギター)やラーズ・ウルリッヒ(ドラムス)より少し歳上で、キャリアも長く、センスやスキルもずば抜けていたクリフの存在は、デビュー前後より一貫して、音楽的な意味でも精神的な意味でもメタリカの支柱と言うべき重要なものでした。ところが、1986年9月27日、クリフは不慮の交通事故により急逝してしまいます。享年24。あまりにも早すぎる、あまりにも突然の別離でした。
アンダーグラウンドで絶対的な支持を勝ち得たメタリカが、満を持してメインストリームへと殴り込みをかけ始めたその矢先に見舞われたとてつもない悲劇――。
遺されたジェイムズ、ラーズ、カーク・ハメット(ギター)を襲った哀しみや絶望の大きさがいかばかりであったか、想像するに難くありません。心身共にこっぴどく打ちのめされた彼らは、当然ながら、クリフのいないメタリカでどうやって未来を描いていけばいいのか、しばらく見通せなくなってしまいました・・・。
しかし、クリフの遺志と彼の家族からの激励に背中を押された3人は、やがて再び自分達の足でしっかりと立ち上がります。
実に40人にも及んだというクリフの後任候補者の中から、アリゾナ州フェニックス出身のスラッシュ・メタル・バンド、フロットサム・アンド・ジェットサムのジェイソン・ニューステッドを選び抜いた面々は、まもなく新編成による初めてのレコーディングを開始、クリフの一周忌も間近に迫った1987年8月、その成果を『メタル・ガレージ』としてリリースします。
『メタル・ガレージ』
ダイアモンド・ヘッドやバッジー、ミスフィッツなど、自分達に影響を与えた先人達への尽きせぬリスペクトを活き活きと表わしたこのカヴァーEPは、メンバーにも負けないくらい打ちひしがれていたファンにもおおむね好意的に受け入れられました。
が、新たに生まれ変わったバンドの真価が問われるのは、むしろこの次に来るべきオリジナル・アルバムでした。誰よりまず自分達自身がメタリカのファンであるだけに世界中のファンの期待や不安をありありと実感していたメンバーは、のしかかるプレッシャーに押しつぶされそうになりながらもなんとか持ちこたえ、これまで以上に奮闘します。
そうして着実に曲をまとめ上げ、丹念にコンセプトを固め、旧来の持ち味と新たな魅力をどちらも注ぎ込みながら真摯に作り上げられていったのが、この『メタル・ジャスティス』という作品でした。このアルバムの成功により、メタリカに再び輝かしい未来へと続く確かな展望がもたらされたことは、もちろん言うまでもありません。
・・・という予備知識をひととおり踏まえていただいた上で(筋金入りのファンには長ったらしい蛇足だったと思いますが)、ようやく本題、なぜこの『メタル・ジャスティス』リイシュー盤をチェックすべきなのか、3つの理由をお話していきたいと思います。
【理由その1】ファン待望の初リマスタリング
これまた筋金入りのファンには繰り返すまでもないことですが、おそらく『メタル・ジャスティス』は、メタリカの歴代作品中でも最もリマスタリングが待ち望まれていたアルバムでしょう。というのも、オリジナルのプロダクションが決して良好とは言えない仕上がりだったからです。もちろん、そうなってしまったのには、はっきりとした理由があります。制作途中でプロデューサーが変わってしまったためです。
そもそもメタリカは、先行作『ライド・ザ・ライトニング』『メタル・マスター』で確かな手腕を発揮していた旧知のフレミング・ラスムッセンに『メタル・ジャスティス』のプロデュースを依頼するつもりでいました。が、どうしても両者のスケジュールが折り合わなかったため、バンドは、ガンズ・アンド・ローゼズの『アペタイト・フォー・ディストラクション』を手掛けてちょうど名を馳せていたマイク・クリンクに代役を依頼します。
『アペタイト・フォー・ディストラクション』
ところが、これが痛恨のミスマッチでした。メタリカとガンズ・アンド・ローゼズとではやはりサウンドも音楽性もまるっきり異なるわけで、マイクとのレコーディングは結果的に実を結ぶことなく、スタジオ入りから数週間後、両者はついに決別してしまいます。
ここまで来てようやく、4人は改めてフレミングにプロデュースを依頼する段取りをつけることができましたが、時すでに遅し。彼らの手に残されていたのは、どうしようもなく不首尾に終わったレコーディング済みのトラックだけでした。
結局、マイクとのレコーディングも、彼とチームを組んでいたスティーヴ・トンプソン&マイケル・バービエロによるミキシングもメタリカとの相性の悪さを露呈したばかりで、フレミングによるポスト・プロダクションを経ても、レコーディングの失敗はいかんともできませんでした。
かような経緯があったせいで、『メタル・ジャスティス』はリリース直後から「ベースの音が聴こえない」「ドラムの音がおかしい」といった厳しい意見にさらされ続けてきました。複雑さを増した曲調や厳しさを増したコンセプトのせいもあるとはいえ、このアルバムのサウンドが低音域の重厚な迫力に欠け、妙に冷ややかで機械的な印象を抱かせてしまうのは事実です。
ただ、これだけプロダクションの問題点がはっきりしている以上、目指すべきリマスタリングの方向性は明らかです。実際、どれほどサウンドが改善されているのか、またそのせいでアルバムがどれほど違った印象を与えてくれるのか、チェックしない手はありません!
【理由その2】いまだ色褪せない社会派コンセプト
第2の理由として、『メタル・ジャスティス』を通して描かれるテーマやコンセプトの普遍性を挙げたいと思います。『メタル・マスター』『メタル・ガレージ』という先例に従い、『メタル・ジャスティス』との邦題が与えられている本作ですが、原題が『...AND JUSTICE FOR ALL』であることは、ファンならばご承知のとおり。このタイトルは、米国市民なら子供でも暗誦できる“忠誠の誓い”の最後の一節「万民のための正義」に由来しています。
ただし、メタリカが描いているのは、その「万民のための正義」の素晴らしさではありません。ここではむしろその逆、本作では「万民のための正義」がいかにないがしろにされているかが様々な角度から浮き彫りにされています。
残念ながら現実の世界では、“正義”の名のもとに“不正義”が働かれることも少なくありません。『メタル・ジャスティス』では、そうした社会の不正や欺瞞を各曲ごとに違った視点から痛烈に抉り出し、時にあけすけに、時に比喩的な言い回しでわれわれにそれを突きつけてきます。
ひとつ具体的に示してみましょう。例えば、タイトル・トラックの「...アンド・ジャスティス・フォー・オール」では、法曹界における“不正義”が追及されています。
本作の印象的なジャケットは、その「...アンド・ジャスティス・フォー・オール」のコンセプトを実に明確に表わしています。ここに描かれているのは、ギリシア神話のテミスやローマ神話のユースティティアと同一視される“正義の女神”レディー・ジャスティスです。

左手に天秤を、右手に剣を持ち、目隠しをした姿で表わされるこの女神は、偏見にとらわれることなく(目隠し)公正に善悪を見極め(天秤)悪しきものには果断に処罰を下す(剣)ことから法律や正義の象徴と見なされ、裁判所のような法曹機関に像が置かれることもあります。
しかし『メタル・ジャスティス』のジャケットに描かれている女神像は、紙幣の重みでいびつに傾いた天秤を持ち、何本ものロープでがんじがらめにされ、身動きもままならないまま今にも崩れ落ちようとしています。これは言うまでもなく、金の力で歪められた正義がまさに崩壊しようとしている様子を表わしています。
アルバム発表当時のライヴでは、ステージ上に設置された巨大な女神像が文字どおりガラガラと音を立てて崩れ落ちる演出も話題となっていましたが、30年前に限らずとも、また法曹界に限らずとも、不正な金や権力により正義が歪められてしまう場面は、新聞やニュース番組などでいまだたびたび目にします。
環境破壊が止まらず滅びへの道を辿っている地球の惨状(「ブラッケンド」)、表現の自由を脅かしかねない行き過ぎた管理社会への警鐘(「アイ・オブ・ザ・ビホールダー」)、ダルトン・トランボ原作の映画『ジョニーは戦場へ行った』に着想を得て無慈悲に描き出される戦争の惨たらしさ(「ワン」)なども同じく、歌詞の内容は非常に今日的なものです。
つまり、『メタル・ジャスティス』で描き出される皮肉な情景は、ことほどさように普遍的で現実的なテーマに裏付けられているわけです。
【理由その3】現在のメタリカを知る原点的アルバム
クリフの後任という大役を精一杯務め上げていたジェイソンも2001年に脱退、バンドはスイサイダル・テンデンシーズなどでプレイしていたロバート・トゥルージロを迎えて現在もゆったりと活動を続けていますが、音楽的にはいまだ試行錯誤の途上にあるようにも見えます。『メタリカ』や『ロード』『リロード』『セイント・アンガー』といった作品で曲作りにも非凡な才能を窺わせるボブ・ロックをプロデューサーに起用していたこと、また『LULU』で孤高のアーティストと言うべきルー・リードとのコラボレーションを実現させていたことなども、もしかしたら『メタル・ジャスティス』から始まったヘットフィールド&ウルリッヒというソングライト体制に外部からの刺激を得ようとする試みだったと言えるかもしれません。

Metallica & Lou Reed
むろん本当のところは本人達にしかわかりません。が、自分達の最も得意とするところをひたむきに突き詰めていたクリフ在籍時代と、新たな領域へと次々に乗り出しているそれ以降とでは、メタリカのバンドとしての在り方にどこか違いがあるように見えるのも確かです。
その意味で『メタル・ジャスティス』は、現在のメタリカへとつながる道程の原点的(あるいは過渡期的)作品だったと捉えることもできるでしょう。『デス・マグネティック』や『ハードワイアード...トゥ・セルフディストラクト』といった近作がしばしば本作との類似性を指摘されるのも、なるほどうなずけるところです。
しかしいずれにしても、結成以来、彼らの“挑戦し続ける姿勢”に変わりはありません。確立した音楽性に満足しきって進化を止めてしまうことも、手にした成功の上にあぐらをかいてイージーに活動していくことも、メタリカは一貫してよしとしてきませんでした。
むしろメインストリームを代表するモンスター・グループとなった今でも、彼らは変わらず自分達自身を厳しく推し進め、メタル・バンドとしての矜持を堂々と掲げ、千変万化するメタル・シーンの最前線に誇り高く立ち続けようとしています。そんな彼らの高潔なアティテユードが、世界中のファンの信頼を変わらず集め続け、メタリカを王者たらしめ続けているのです。
新たな地平を切り開き続ける彼らの挑戦は、これからもまだまだ続いていくことでしょう。