スラッシュ・メタルって・・・なに?
そもそも“スラッシュ・メタル”というジャンル名は、英語で“ムチ打つ、打ちのめす”といった意味を持つ“thrash”という言葉から来ています。それまでのヘヴィ・メタルより曲のテンポがずっと速く、♪タン、タン、タン、タン・・・とスピーディに鳴らされるスネアドラムの音がまるでムチを振るっているように聴こえることから、こう名付けられました。ではなぜ、それまでのように“ヘヴィ・メタル”と呼ぶのではなく、新たに“スラッシュ・メタル”という言葉が作られることになったのでしょうか。
答えは簡単。生み出された当時のスラッシュ・メタルが、それまでの一般的なヘヴィ・メタルよりも、ずっとヘヴィで、ずっとスピーディで、多くのファンにとって未体験の過激さや攻撃性を備えていたからです。
「確かにヘヴィ・メタルと呼べる音楽ではあるけれど、これは、いままでに体験したことのない新しいものだぞ・・・!」 そうしたファンの熱気や興奮は、まもなく“スラッシュ・メタル”という新しい言葉を作らせ、またたくまに世界中に共有されていきました。つまり、スラッシュ・メタルの登場は、当時のメタル・ファンにとってそれほど衝撃的な事件だったわけです。
ちなみに、英語には、カタカナで書くと同じ“スラッシュ”になってしまう“slash”という言葉もあります。元ガンズ・アンド・ローゼズのギタリスト、スラッシュのステージ・ネームとしておなじみですね。こちらも“ムチ打つ、切りつける”といった意味があって混同されてしまいがちですが、ジャンル名としては世界的に“thrash metal”で確立されていますので、英語で書く際にはどうぞお間違えのないよう。
さて、それでは、スラッシュ・メタル誕生の瞬間に迫っていくことにしましょう。
先駆者メタリカ、登場!
スラッシュ・メタルは、いつ、どこで、どのように誕生したのか? その問いにはっきりとした答えを出すのは難しいところですが、最もわかりやすい例を挙げるとするなら、やはり結成当初のメタリカにスポットを当てないわけにはいかないでしょう。彼らがスラッシュ・メタルのオリジネイター(創始者)のひとつであることは、疑いようがありませんから。当時10代だったラーズ・ウルリッヒ(ドラムス)とジェイムズ・ヘットフィールド(ヴォーカル/ギター)の2人を中心に、アメリカ西海岸のロサンゼルスにてメタリカが結成されたのは、1981年のことでした。同い歳で音楽の趣味も似ていた彼らは、しばらくしてバンドに加わったクリフ・バートン(ベース)とデイヴ・ムステイン(ギター)とともに、自分たちの理想とする音楽を少しずつ形にしていきます。
当時の彼らが目指していたこと――それはすなわち、自分たちが受けてきた先輩バンドからの影響をいろいろとミックスして、新しく個性的な音楽を創り出すことでした。
そんな彼らにとってとりわけ重要だったのが、ニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル(NWOBHM)とハードコア・パンクからの影響です。
具体的に少し名前を挙げてみましょう。
まずNWOBHMでは、アイアン・メイデン、サクソン、ヴェノムといった有名どころから、ダイアモンド・ヘッド、ブリッツクリーグ、エンジェル・ウィッチといった通好みなところ、さらに少し先輩格にあたるブラック・サバス、ジューダス・プリースト、バッジー、クイーン、モーターヘッドなどなど、外せないバンドがたくさんあります。
一方、ハードコア・パンクでも、イギリスのディスチャージ、G.B.H、アンチ・ノーウェア・リーグ、アメリカのミスフィッツ、ブラック・フラッグ、ハスカー・ドゥなど、国境を越えていろんなバンドの名前を挙げることができます。
プロのミュージシャンであると同時に筋金入りのロック・マニアでもあった彼らは、こうして様々な音楽的影響をミックスし、試行錯誤を重ねながら、メタリカならではのユニークな個性を模索していったのです。
そしていよいよ、彼らの努力はデビュー・アルバムとして結実します。スラッシュ・メタル時代の幕開けを告げる衝撃作『キル・エム・オール』がついに世に放たれました――。
振り下ろされた『血染めの鉄槌』
メンバーとの折り合いが悪くなっていたデイヴ・ムステインをクビにし、新たにカーク・ハメット(ギター)を迎えてレコーディングを行ない、1983年にリリースされた『キル・エム・オール』は、メタリカの音楽的な目論見が素直に表わされた作品でした。つまり、NWOBHMとハードコア・パンクとの融合がストレートに示されたアルバムだったわけです。
ダイアモンド・ヘッドのようなリフ・ワーク、アイアン・メイデンのような構成力、モーターヘッドのような疾走感など、このアルバムに収められた楽曲には、彼らの受けてきた音楽的な影響がはっきりと表われていました。ただ、逆の見方をすれば、この段階では、彼らはまだ自分たちの受けてきた影響を十分には消化できていなかったとも言えます。
しかし『キル・エム・オール』は、アンダーグラウンド・シーンを中心に、まもなく熱狂的な支持を集めます。
同じ頃メジャー・シーンではけちょんけちょんに酷評されていたにもかかわらず、メタリカはなぜアンダーグラウンド・シーンで人気を博することができたのでしょうか。
その秘密を解き明かすには、まず、当時のアンダーグラウンド・シーンの状況を踏まえておかなくてはなりません。
第1回:スラッシュ・メタルって・・・なに?
第2回:伝説のデモ『ノー・ライフ・ティル・レザー』
第3回:受け継がれる“邪悪の遺伝子”
第4回:顔面粉砕!渾身の『メタル鉄拳』
第5回:反骨の“大佐”デイヴ・ムステイン
第6回:炸裂!手加減無用のベイエリア・クランチ