ジェフ・ベック

1月10日、逝去。エリック・クラプトン、ジミー・ペイジと並ぶ3大ロック・ギタリストの一人。1965年ヤードバーズに加入してデビューすると、以降は自身のグループでロッド・スチュアートなど大物と共演。ソロではロックとジャズを融合させたフュージョン色の強い作品でも成功を収める。様々なジャンルを独自の解釈と唯一無二のテクニックでミックスさせる孤高の天才ぶりは、全世界のギタリスト羨望の的であった。

高橋幸宏

1月11日、逝去。サディスティック・ミカ・バンド、および、坂本龍一・細野晴臣と結成したYMOのメンバーとして知られ、代表曲『ライディーン』では作曲を担当。音楽以外でもファッションデザイン、ラジオ、エッセイなどマルチな才能を発揮。そのスマートな佇まいがあらゆる分野で愛されていた。

鮎川誠

1月29日、逝去。シーナ&ザ・ロケッツのギター・ボーカル。結成時、まだ幼かった子ども(双子)を福岡に残して妻シーナと共に上京、日本におけるロックの先駆者としてYMOの知遇をえてブレイク。東日本大震災の際は、故郷である北九州でチャリティーライブを開催し全売上金を寄付した。

松本零士

2月13日、逝去。『宇宙戦艦ヤマト』『銀河鉄道999』などSF漫画作家として世界にその名を刻む。デビューは少女漫画だったが、アニメ『宇宙戦艦ヤマト』に作家として携わり『銀河鉄道999』『宇宙海賊キャプテンハーロック』など数々のアニメをヒットに導いた。東京港・隅田川を運行する水上バス「ヒミコ」のデザインや、ダフト・パンク『ワン・モア・タイム』のミュージックビデオ制作など活動の場はアニメ・漫画以外にも幅広い。

恒岡章

2月14日、逝去。Hi-STANDARDのドラマーとして結成時よりバンドの屋台骨を支える。難波章浩や横山健と比べると寡黙な印象もあるが、ハイスタの音楽性の進化に躍動感あふれるビートで華を添え、プロアマ問わずフォロワーは枚挙にいとまがない。ハイスタ以外でもチャットモンチー、菅野よう子、あいみょんらのサポートも務め、東日本大震災復興支援としてハイスタも再開され、さらなる活躍を期待されていた矢先の悲報であった。

ウェイン・ショーター

3月2日、逝去。ジャズ・サックスの巨匠にして偉大なる作曲家、さらにジャズ・ロックやフュージョンの生みの親としても音楽史において重要な役割を果たす。1960年代にマイルス・デイヴィス・クインテットで作曲を担当し数々の名盤を残し、1970年代にはウェザー・リポートを結成してフュージョンを世に送り出した。ソロの名盤『JuJu』が日本のアーティスト・JUJUの芸名の由来となったことでも有名。

大江健三郎

3月3日、逝去。1994年にノーベル文学賞に輝いた戦後の日本文学を代表する作家。短編小説『飼育』により23歳の若さで芥川賞を受賞、『万延元年のフットボール』でも谷崎潤一郎賞を歴代最年少で受賞した。 活動時期により作風やテーマに変化があり難解なイメージもあるが、「飼育」「静かな生活」など映画化された作品も多い。

坂本龍一

3月28日、逝去。東京芸術大学在学中からセッションミュージシャンとして数多くの作品に携わり、1978年のYMO結成により活動の幅が一気に広がった。映画『戦場のメリ-クリスマス』では音楽担当に加え自らもヨノイ大尉役で出演。映画『ラストエンペラー』で日本人初となる米アカデミー賞作曲賞を受賞するなど国際的な評価も高い一方で、日本のテレビでもダウンタウンの番組でコントを披露したり「GEISHA GIRLS」をプロデュースするなど、「教授」の愛称とともにお茶の間でも愛される存在であった。

上岡龍太郎

5月19日、逝去。横山ノックらと漫画トリオでデビュー。解散後はタレント・司会者としてテレビやラジオで数多くの冠番組を持つ。理路整然とした巧妙な話術と歯に衣着せぬ毒舌で他の追随を許さない存在感を放ち、『鶴瓶上岡パペポTV』や『探偵!ナイトスクープ』では全国的な人気を博した。「僕の芸は20世紀まで」と宣言し、2000年4月に芸能界を引退していた。

ティナ・ターナー

5月24日、逝去。米グラミー賞8回受賞を誇る「ロックンロールの女王」。1960年代から夫アイク・ターナーとのデュオで成功すると、離婚後の1980年代にはソロとして再びヒットを連発しその地位を揺るがないものとした。ハスキーな歌声とエナジー溢れるパフォーマンスで観る者を魅了、代表曲に『プラウド・メアリー』『愛の魔力』などがある。デュオとソロで2回「ロックの殿堂」入りを果たしたほか、女優としてメル・ギブソンと共に『マッドマックス/サンダードーム』に出演した経歴を持つ。

トニー・ベネット

7月21日、逝去。ポップ・ジャズ歌手にしてグラミー賞を20回、エミー賞を2回受賞するアメリカを代表するエンターテイナー。1951年の『ビコーズ・オブ・ユー』が全米チャート10週連続1位となり注目を集める。代表曲に『ストレンジャー・イン・パラダイス』『想い出のサンフランシスコ』など。一時の不遇を乗り越え、1994年のMTVアンプラグドを収録したアルバムがグラミー最優秀アルバム賞に輝くと、2014年にはレディー・ガガと共演した『チーク・トゥ・チーク』で再びグラミー賞に輝いた。

寺沢武一

9月8日、逝去。北海道旭川市出身、SF漫画『コブラ』の作者として一時代を築く。手塚プロダクションのスタッフとしてキャリアを開始すると、1978年から週刊少年ジャンプで『コブラ』の連載を開始。1982年にアニメ化されると映画・テレビで人気を博し、全世界で5000万部以上の発行数を記録している。後年はパソコンやデジタルテクノロジーを取り入れた作風でも知られ、デジタル漫画の先駆けともなった。

谷村新司

10月8日、逝去。矢沢透・堀内孝雄と結成したアリスで1972年にデビュー。『チャンピオン』『冬の稲妻』『ジョニーの子守唄』などがヒット。ソロとして『陽はまた昇る』『昴 -すばる-』を制作する一方、山口百恵『いい日旅立ち』や加山雄三との『サライ』など他のアーティストへの提供曲も多く、また1984年の小川知子とのデュエット曲の演出でも話題となった。バラエティー番組への出演でも人気となり、タモリの後任として『ボキャブラ天国』のMCを務めたことある。

財津一郎

10月14日、逝去。上京後に演劇の修業を積み、1964年からは吉本新喜劇に参加。藤田まこと主演『てなもんや三度笠』にレギュラー出演し「ヒッジョーにキビシーッ!」「〇〇してちょーだい!」のギャグで一世を風靡した。東京に拠点を移してからは数々の映画・テレビドラマに出演。本人出演・歌唱の「タケモトピアノ」CMでの「ピアノ売ってちょーだい」の台詞と伴奏を含めたメロディーが、赤ちゃんが泣き止む曲として「探偵ナイトスクープ」でも取り上げられるなど話題を振りまいた。

もんたよしのり

10月18日、逝去。全日本フォークジャンボリーに参加した経歴を持ち、1980年に再デビューした「もんた&ブラザーズ」において『ダンシング・オールナイト』が空前の大ヒットを記録、日本レコード大賞や有線放送大賞に輝き紅白歌合戦にも出演を果たす。西城秀樹『ギャランドゥ』の作詞・作曲も手掛け、こちらも日本レコード大賞を受賞している。『THE 夜もヒッパレ』『絶対に笑ってはいけないホテルマン24時』などバラエティー番組への出演でも知られる。

櫻井敦司

10月19日、逝去。1987年にロックバンド「BUCK-TICK」のヴォーカリストとしてデビューし、1989年の『TABOO』でオリコンチャート1位に輝くなど人気を博した。バンド内においては作詞担当。デヴィッド・ボウイに影響を受けており、その強烈なビジュアルや過激なステージパフォーマンスは後のヴィジュアル系アーティストなどへ多大な影響を与えている。長男の遠野遥が2020年に『破局』で芥川賞を受賞したことも話題に。

HEATH

10月29日、逝去。X JAPANのベーシストを長年務める。小学4年生時に家族に連れられて体験したヴァン・ヘイレンのライヴに衝撃を受けロックの道へ。1992年にオーディションを経てTAIJIの後任としてX JAPANに加入、世界進出へと舵を切ったバンドで堅実なプレーを見せる。1996年のソロデビュー曲『迷宮のラヴァーズ』はテレビアニメ『名探偵コナン』エンディングテーマに起用された。常に体脂肪率一桁をキープしながらも、他のメンバーに負けず劣らずの酒豪であった。

大橋純子

11月9日、逝去。北海道夕張市出身、その圧倒的な歌唱力で一時代を築いた希代の歌手。1976年に『ペイパー・ムーン』がヒットすると、1978年の『たそがれマイ・ラブ』で日本レコード大賞金賞に輝き、1982年には『シルエット・ロマンス』で最優秀歌唱賞を受賞している。2018年から闘病生活を送っており、デュエット曲で共演したもんたよしのり訃報の際には追悼コメントを出すなど普段と変わらぬ様子であったという。

KAN

11月12日、逝去。福岡県福岡市出身のシンガーソングライター。8枚目のシングル『愛は勝つ』が『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』のテーマ曲で使用されると、オリコンチャート52週ランクインのロングヒットを記録、200万枚を超えるセールスとなり日本レコード大賞にも選ばれた。様々なアーティストへの楽曲提供も数多く、また自身のコンサートではコントやダンスも織り込んだ一大エンターテインメントを繰り広げることでも知られる。

伊集院静

11月24日、逝去。作家・作詞家。1991年の『乳房』で吉川英治文学新人賞、1992年の『受け月』で直木賞を受賞。作詞家としては「伊達歩」の名で活動、近藤真彦の『ギンギラギンにさりげなく』『愚か者』などで知られる。スポーツ界や芸能界との人脈も広い。昭和の伝説的女優・夏目雅子の夫であったが死別、その後は同じく女優の篠ひろ子と結婚している。

チバユウスケ

11月26日、逝去。THEE MICHELLE GUN ELEPHANTのボーカル・ギターとしてパンク・ロック界で一際大きな存在感を放つ。明治学院大学在学中にバンドを結成、1996年にメジャーデビューを果たすと、2003年に解散するまでフジロックやライジングサンでメインアクトを務めるなど精力的なライブ活動を展開。ミュージックステーション出演時に、生放送の出番を放棄したt.A.T.u.の埋め合わせで『ミッドナイト・クラクション・ベイビー』を追加で演奏したことは今でも語り草となっている。

島崎俊郎

12月6日、逝去。クレイジーキャッツの付き人を経て1979年にコントトリオ「ヒップアップ」を結成。オレたちひょうきん族のレギュラーとなり原始人キャラの「アダモちゃん」で一世を風靡した。『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』でのレポーターとして活躍したほか、俳優として舞台や映画の出演も多い。