水島新司(82歳没)

1月10日、逝去。『ドカベン』『あぶさん』等で知られる野球漫画の第一人者。魔球などの必殺技ではなく、キャラクターの魅惑溢れる人物描写や試合展開の妙などで魅せるスタイルは後続の漫画界に多大な影響を及ぼした。あぶさん(景浦安武)は62歳まで現役を続行、引退セレモニーは現実のホークス戦でも行われた。

石原慎太郎(89歳没)

2月1日、逝去。『太陽の季節』で第34回芥川賞を受賞、後に政治家へ転向し東京都知事を務める。実弟は昭和の大スター・石原裕次郎。『NOと言える日本』『弟』『天才』などベストセラーを生み出す一方、政治家として歯に衣着せぬ発言で賛否を巻き起こすこともしばしばであった。

西村賢太(54歳没)

2月5日、逝去。『苦役列車』で第144回芥川賞を受賞。受賞時の自由過ぎる会見で話題となるも、その壮絶な生い立ちの実体験を織り交ぜた私小説の破壊力は多くのファンを魅了した。特異な言動による強烈なエピソードは枚挙にいとまがない。

藤子不二雄A(88歳没)

4月7日、逝去。藤子・F・不二雄に誘われて上京、手塚治虫と入れ替わる形でトキワ荘に入りコンビ結成。単独の代表作に『忍者ハットリくん』『怪物くん』『プロゴルファー猿』『笑ゥせぇるすまん』など。後年はドラマ色やブラックユーモア色の強い作品も目立つ。富山の実家は曹洞宗の寺院。

イビチャ・オシム(80歳没)

5月1日、逝去。世界中のサッカー関係者から尊敬を集める名伯楽。妖精・ストイコビッチ擁する旧ユーゴスラビア代表の監督を務めるも、自国の内戦と分裂による国際舞台からの追放という屈辱を味わう。2003年からJリーグ・ジェフ千葉の監督、2006年からは日本代表の監督を務めるも病に倒れ志半ばで療養に入っていた。

上島竜兵(61歳没)

5月11日、逝去。ダチョウ倶楽部のメンバーとして、熱湯風呂や熱々おでんなど体当たりのリアクション芸でバラエティー界に一時代を築く。元は俳優志望で後年は舞台を中心とした役者業に精を出す。心の師と仰ぐ志村けんとは、天国で杯を掲げているだろうか。

レイ・リオッタ(69歳没)

5月26日、逝去。20世紀不朽の名作『グッドフェローズ』で主人公の実在するマフィア役を演じ脚光を浴びる。『フィールド・オブ・ドリームス』でのシューレス・ジョー、『ハンニバル』でのクラリスをいびる上司など、観客の印象に深く刻まれる役どころが多かった。

安倍晋三(67歳没)

7月8日、逝去。第90代、および第96~98代内閣総理大臣。首相としての通算在職日数3,188日は歴代最長を誇る。父は安倍晋太郎、祖父に岸信介、大叔父には佐藤栄作など首相や大臣経験のある人物を輩出する政治家一家に生まれる。奈良での街頭演説中に銃撃をうけるという蛮行の犠牲となり、政治家への卑劣なテロ行為として国内外に大きな波紋を広げた。

小林清志(89歳没)

7月30日、逝去。アニメ『ルパン三世』シリーズの次元大介役を50年間務める。次元のモデルとされる西部劇の名優ジェームズ・コバーンの吹替えを担当していたことから起用された。アイドルの冠番組のナレーションも務め、深夜時代の嵐や『AKB48 ネ申テレビ』などが有名。

オリビア・ニュートン・ジョン(73歳没)

8月8日、逝去。イギリス生まれオーストラリア育ちの歌手・女優。1974年『愛の告白』を皮切りに、『そよ風の誘惑』やジョン・トラボルタと共演した映画『グリース』サントラからの楽曲群、さらに80年代の『フィジカル』など多くのヒット作を生み出す。後年はがん治療の啓発活動に力を入れていた。

エリザベス2世(96歳没)

9月8日、崩御。25歳にしてイギリス女王(君主)に即位。第二次世界大戦中には実際に軍事訓練を受け、軍隊に従軍しながら軍用トラックの運転をこなすなど旺盛な活動で知られ、90歳を超えても精力的に公務を行っていた。2012年ロンドン五輪開会式の際に制作された短編映画では「Good Evening, Mr.Bond」との台詞と共に007・ジェームズ・ボンドとの共演が実現した。

ジャン・リュック・ゴダール(91歳没)

9月12日、逝去。『勝手にしやがれ』『気狂いピエロ』等で知られるフランス映画・ヌーヴェルヴァーグの旗手。映画の常識や手法を壊しては再構築する作風は様々な領域に影響を与えた。1968年のパリ五月革命の直前、カンヌ映画祭に乗り込み中止に追い込むなど活動家としての側面も大きい。最期は自宅のあるスイスにて自殺幇助を選択、起伏に富んだ人生の終幕であった。

六代目 三遊亭圓楽(72歳没)

9月30日、逝去。三遊亭楽太郎の名で1976年から笑点メンバーとして活躍、2010年に六代目三遊亭圓楽を襲名し師匠の名跡を継いだ。二番目の弟子はタレントの伊集院光。TVではインテリ・腹黒・毒舌キャラを見せるも、落語界では様々な団体の垣根を取り払い業界の発展に邁進する姿が印象的であった。

アントニオ猪木(79歳没)

10月1日、逝去。13歳でブラジルに移住、農場での厳しい労働をこなす。1960年、力道山にスカウトされ日本プロレスに入団し、ジャイアント馬場と同日にデビュー。以後、新日本プロレスの旗揚げ、異種格闘技戦でのモハメド・アリ戦、タイガー・ジェット・シンによる新宿伊勢丹襲撃事件など、常に国内外に話題を振りまいた。政界進出後は、イラクでの人質解放や北朝鮮訪問など物議をかもしながらも精力的に活動した。

仲本工事(81歳没)

10月19日、逝去。1965年ザ・ドリフターズに加入。1966年のビートルズ来日公演の前座では『のっぽのサリー』でボーカルを担当。「8時だョ!全員集合」での身体能力を生かした体操コーナー、いかりやとの「ばか兄弟」コントなどドリフターズの中ではいぶし銀の役割を全うした。

大森一樹(70歳没)

11月12日、逝去。自主映画出身、大学病院が舞台の『ヒポクラテスたち』で注目を浴びる。80年代の吉川晃司、斉藤由貴の主演映画や、平成ゴジラVSシリーズなど娯楽系映画で多くのメガホンを取った。兵庫県芦屋市の医師一家の出で、自身も医師免許を取得していた。

崔洋一(73歳没)

11月27日、逝去。大島渚監督作『愛のコリーダ』等で助監督をつとめた後、1983年に監督デビュー。在日コリアンが主人公の『月はどっちに出ている』で数々の映画賞に輝き、ビートたけし主演『血と骨』では日本アカデミー賞最優秀監督賞を受賞。2004年からは日本映画監督協会第8代理事長に就任した。

渡辺徹(61歳没)

11月28日、逝去。演劇界の東大・文学座の研究生だった1981年に『太陽にほえろ!』ラガー刑事役に抜擢され人気を博す。以後は旺盛な食欲や軽妙な話術を生かしタレント・司会業を中心に活動する。榊原郁恵とのおしどり夫婦ぶりが世間からも好印象だったが、妻からの「マヨネーズ禁止令」をこっそり破って摂取するほどのマヨラーであった。 二段の腕前をもつ将棋の愛好家としても知られる。