2024年も日本や世界で多大な功績を残した偉人たちが鬼籍に入った。その余人をもって代えがたき出色の作品群を眺め、在りし日の姿を思い返したい。合掌。
篠山紀信(享年83歳)
1月10日、逝去。日芸の写真科に在学中から頭角を現す。山口百恵、ジョン・レノン&オノ・ヨーコのアルバムジャケット、歌舞伎、樋口可南子や宮沢りえのヌード写真集など多くの話題作を手掛け、「激写」「ヘアヌード」など数々の流行語を生みだす時代の寵児といった存在でもあった。
カール・ウェザース(享年76歳)
2月1日、逝去。映画『ロッキー』でロッキーのライバル、アポロ・クリード役を演じたことで知られる。元はNFLでラインバッカーとしてプレーした名選手で、引退後に俳優に転身。『プレデター』ではアーノルド・シュワルツェネッガーとも共演している。
小澤征爾(享年88歳)
2月6日、逝去。世界を代表する指揮者。カラヤンに師事し、名門ボストン交響楽団の音楽監督、ウィーン国立歌劇場音楽監督を歴任。若き頃はスクーターで欧州武者修行に駆り出るような血気盛んな一面もあった。息子は俳優の小澤征悦、甥にミュージシャンの小沢健二がいる。
鳥山明(享年68歳)
3月1日、逝去。『Dr.スランプ』『ドラゴンボール』『ドラゴンクエストシリーズ』等で世界を魅了した漫画家・キャラクターデザイナー。「MANGA」を世界に広めた功績は大きく、死去のニュースは欧米のみならず、中国や中東でも速報で伝えられたほど。また、生涯を故郷である愛知県清須市で過ごし東京に出ることはなかった。
TARAKO(享年63歳)
3月4日、逝去。声優・シンガーソングライター・エッセイスト。1990年から『ちびまる子ちゃん』で主人公・さくらももこ役を担当し国民的な人気を博す。自身の声が原作者のさくらももこの声と瓜二つだったことがオーディション合格の決め手に。本人は声優ではなく、あくまでシンガーソングライターだと自らを語っていた。
フジ子・ヘミング(享年91歳)
4月21日、逝去。日本をはじめ欧米でも活躍したピアニスト。父親は著名なスウェーデン人画家。東京藝術大学を卒業後に紆余曲折を経てヨーロッパに拠点を移すも、貧困の中で風邪をこじらせ失聴する事態に見舞われる。日本に帰国後に放映されたNHKのドキュメンタリー番組が反響を呼び、ファーストアルバム『奇蹟のカンパネラ』が大ヒット。遅咲きのピアニストとして「フジコブーム」となった。
小山内美江子(享年94歳)
5月2日、逝去。『3年B組金八先生』シリーズを手掛けた脚本家。シリーズ途中からTBS側と軋轢があったことは周知の事実。大河ドラマ『翔ぶが如く』の脚本でも知られる。長男で俳優の利重剛は、高校時代に実際の10代の率直な意見として数々の助言をしていた。
唐十郎(享年84歳)
5月4日、逝去。アングラ演劇の旗手として「状況劇場」を設立。新宿の花園神社境内に紅テントを建て、前衛的かつ反体制的な舞台を展開。機動隊に紅テントを包囲されながら上演を行ったこともある。「天井桟敷」の寺山修司や野坂昭如との喧嘩などその荒々しい武勇伝には事欠かない。状況劇場からは、麿赤児、不破万作、根津甚八、小林薫、佐野史郎、渡辺いっけい、六平直政ら多くの俳優が輩出された。前妻は「アングラの女王」李麗仙、その息子に俳優の大鶴義丹がいる。
キダ・タロー(享年93歳)
5月14日、逝去。「浪花のモーツァルト」の異名を持つ作曲家。数々のCMソング・番組テーマ曲、社歌などを作曲し、タレントとても『探偵!ナイトスクープ』出演などでお茶の間の人気者であった。主な提供曲として『プロポーズ大作戦』『生活笑百科』『出前一丁』『かに道楽』『小山ゆうえんち』など。
シェリー・デュバル(享年75歳)
7月11日、逝去。『シャイニング』での怪演が印象深い女優。ジャック・ニコルソンに追い詰められ、斧がドアを突き破った際の恐怖におののく姿が有名。ウディ・アレン監督作『アニー・ホール』出演時にポール・サイモンと出会い交際したが、友人として紹介した『スターウォーズ』レイア姫役のキャリー・フィッシャーに奪われてしまった過去を持つ。
アラン・ドロン(享年88歳)
8月18日、逝去。たぐいまれな美貌をもつフランスを代表するスター俳優。1960年の『太陽がいっぱい』の大ヒットで一躍世界的なスターに。親日家と知られ日本のCMにも多数出演し、広島を訪れた際には平和記念公園で献花も行っている。二枚目スターの印象が強い日本国内とは違い、欧米ではアート志向や社会性の強い作品への出演が多い俳優としての評価が高い。
セルジオ・メンデス(享年83歳)
9月5日、逝去。ブラジルが誇るボサノバの代表的なミュージシャン。1966年『マシュ・ケ・ナダ』の大ヒットで世界的なボサノバ・ブームの推進役となった。 同曲は日本でも自動車のCMで起用された他、サッカー・ブラジル代表が空港でボール蹴りに興じるNIKEのCMでも馴染み深い。
大山のぶ代(享年90歳)
9月29日、逝去。声優としてドラえもん役を1979年から2005年まで約26年間にわたり務めた。俳優座の養成所出身で同期に田中邦衛や井川比佐志などがいる。ドラえもんの「ふーふーふーふー」という特徴的な笑い方は自身のアドリブ。料理の腕前もプロ級であり、また無類の麻雀好きで美空ひばりとも麻雀友達だった。
服部幸應(享年78歳)
9月29日、逝去。料理評論家。父親が創立した「服部栄養専門学校」で講師を務め、31歳の時に校長に就任。「料理の鉄人」「TVチャンピオン」などの番組に出演する一方、「食育」の必要性を訴えて2005年の「食育基本法」の成立に尽力したほか、和食に関する情報発信に力を入れるなど精力的な活動で知られる。
猪俣猛(享年88歳)
10月4日、逝去。ジャズドラマー。卓越したリズム感と創造性により日本のジャズ・シーンの礎を築く。伝統的なジャズスタイルを尊重しつつも、現代的な要素を取り入れたアプローチを展開し、サウンド・リミテッドを率いてジャズとロックの融合に新たな地平を切り開いた。音楽教育者として「リズム・クリニック・センター(RCC)」を設立するなど、後進への指導にも熱心であった。
西田敏行(享年76歳)
10月17日、逝去。福島県出身の俳優・歌手。青年座に入団後、アドリブも辞さない変幻自在の演技力と愛嬌のあるキャラクターで人気を博す。代表作は『西遊記』『池中玄太80キロ』『アウトレイジ』『釣りバカ日誌』シリーズなど多数。大河ドラマでは『翔ぶが如く』『八代将軍吉宗』『葵 徳川三代』で主演を務めた。歌手として『もしもピアノが弾けたなら』をヒットさせる。またテレビでは『探偵!ナイトスクープ』の2代目局長に起用され、その涙もろさは視聴者にも好意的に受け入れられた。
楳図かずお(享年88歳)
10月28日、逝去。和歌山県出身の漫画家。“ホラー漫画の神様”として『へび少女』等で人気となる一方、ギャグ漫画『まことちゃん』をヒットさせ「グワシ」のギャグが社会現象にもなった。少年サンデー連載の『漂流教室』は小学館漫画賞を受賞し映画化もされた。トレードマークの赤白ボーダーを自身の住宅デザインに使用したことで近隣とトラブルになった「まことちゃんハウス」騒動でも知られる。
クインシー・ジョーンズ(享年91歳)
11月3日、逝去。アメリカのジャズ・ミュージシャン、音楽プロデューサー。バークリー音楽大学を卒業後、アレンジャーとしてジャズの世界で成功を収める。プロデューサーとしてマイルス・デイヴィス、フランク・シナトラらを手掛け、やがてマイケル・ジャクソンと出会い『スリラー』を世に送り出す。チャリティー曲『ウィ・アー・ザ・ワールド』ではスーパースター達をまとめる総監督の役割を映像でも確認できる。
谷川俊太郎(享年92歳)
11月3日、逝去。戦後日本を代表する詩人。親しみやすくも力強い言葉選びの美しさと深い思想が特徴で『朝のリレー』など多くの作品が国語の教科書に採用されている。翻訳家として『ピーナッツ』シリーズを手掛け日本に広く紹介したことでも知られる。最新のテクノロジーに明るく、詩の執筆は専らノート型のMacであった。
中山美穂(享年54歳)
12月6日、逝去。東京都小金井市出身。1985年『毎度おさわがせします』でドラマデビュー、『C』で歌手デビューすると「ミポリン」の愛称で瞬く間にトップアイドルに。『世界中の誰よりきっと』の大ヒットの他、様々なドラマや映画でも主演を務めた。
小倉智昭(享年77歳)
12月9日、逝去。幼少時からの吃音症と秋田訛りを克服するためアナウンサーの職に就く。軽妙洒脱な語り口が評判を呼び「世界まるごとHOWマッチ」のナレーション等で確固たる地位を築く。1999年からはフジテレビ系列の「とくダネ!」で司会を担当。冒頭のフリートークや歯に衣着せぬ発言で人気を博したほか、五輪の現地リポートなど幅広いジャンルでお茶の間に話題を振りまいた。
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